アインシュタインが感じた違和感。

いろいろな本やサイトで、彼の感じた違和感を書いてますが。
いまいち私にはピンと来なかったんです。
だから、簡単に
“光の速さで光を追いかけたら、光が止まって見えるのはおかしい”
と流そうかと思ったんですがね。

でも、特殊相対性理論から出て来るあらゆる結論に比べたら、大したことではない様な気がして。
同時刻の相対性とかね。
(見る人により同時に見えたり見えなかったりする)

彼は12歳の頃に微分・積分をマスターしたそうなので、ある程度マクスウェル方程式も理解していたかも知れません。
そうなると、かなり早い段階でマクスウェル方程式にガリレイ変換を使った時に矛盾する事に気付いていたかも知れません。
(この計算は、自分自身でまだフォローしてません)
うたた寝から覚めた彼は、この事を計算してみたようなのですし。

でも、出発点はもう少し単純な事じゃないかな、と思いましたので。
私の説明しやすい違和感(矛盾?)を紹介します。

キーポイントは、マイケルソンとモーリーの実験です。

マイケルソンとモーリーの実験は、
「いろんな状態で光の速さを測ったけど、変化がなかったよ」
ということを言っています。
これは、エーテルの風が観測できなかった、ということを言っているのは間違いないのですが。

そのほかに、
「どんな状態でも光の速さは変わらない」
ということを言ってもいます。
これが本当なら、光の速さで光を追いかけた人にとっても、光の速さに変化が見られないことになります。
もちろん、光が止まって見えることはないはずです。

実際にはどう見えているのでしょう?
光の速さで進めないので、どちらがより妥当かということを考えるしかありません。

「光は止まって見えない」という方がより妥当に見えます。

こう考えた理由は、
1.マイケルソンとモーリーの実験で、光の速さに差が出ない、という事実がある。
ここから、「光の速さ(またはそれに近い速さ)で動いている人にとっても、光の速さは変わらない」といえるから。
こちらはすんなりと行きますが、もう一つはちょっとややこしい。

2.”止まった光”は存在しない。
難しい話ですが。
マクスウェルの電磁波の式では、電場と磁場の変化がお互いを生み出しつつ進むことになっています。
もし、この変化が止まったとしたら?
それは電場も磁場も変化しない = 電場も磁場も生まれない = 電磁波でなくなる となります。

止まっている人Aさんと、光の速さで光を追いかけているBさんがいたとして。
Aさんにとっては見える光が、Bさんにとっては存在しなことになる。
これはちょっとまずいと思います。

ということで、真空中の光の速さは慣性系によって変化しない = 光速度不変 とすることにします。

そうそう、突然”真空中の光の速さ”としているのには訳がありまして。
どこを通るかによって光の速さは変わります。
例えば、ガラスの中とか、水の中とか、ですね。
この速さの変化が、光の屈折という現象を引き起こすのですが、それはまた別の話で。
ここではいちいち書くのがめんどくさいので、”光の速さ”とか”光速”と言ったときは、真空中の事とします。

とにかく、どんな状況の人にとっても、光速は変わらないとしたのですが。
ちょっとビビッて、状況を限定してみます。

”すべての慣性系で光速は不変”

この”慣性”という言葉は、運動の第1法則である”慣性の法則”の、あれです。
つまり、力が加わらない状態の事ですね。

慣性の法則によれば、力が加わらない物体は静止し続けるか等速直線運動を続ける、となります。
つまり、この2つの状態にある観測者同士が同じ光を見たときに、光の速さは同じになるということですね。

光速度不変を仮定すると同事になるのかを、次回で詳しくご紹介します。

実は、光速度不変だけではなく、もう一つ仮定していることがあります。
それは、

”すべての慣性系で物理法則は同様に成立する”

ということです。

つまり
物理法則が同様に成立する = 物理量が同じ式で表される = 物理現象が同じように観測される
ということです。
この2つの過程からどのように話が発展するかは、次回のお楽しみということで。

前の記事:アインシュタイン16歳がうたたねで見た夢の時代背景

次の記事:光速度不変からローレンツ変換まで

特殊相対性理論 目次

相対性理論にチャレンジ 目次