特殊相対性理論は、光速を超えるものはないという事。=重力はどうなる?

一応、特殊相対性理論は、光速を超えるものはないという事。
でも、そうなると重力はどうなるかというと。

ニュートン力学において、質量\(m\)と\(M\)の間に働く重力\(F\)は
\(F = G\frac{Mm}{r^2}\)
\(G\):重力定数
\(r\):物体間の距離
です。
何が問題かというと、

時間に関係していない。

という事です。
時間に関係していない、という事は、

重力が瞬時に伝わる = 光速を超えて伝わるものがある。

という事です。
光速を超えるものの存在は、いろいろと嫌な予感がしますので、それは、ナシの方向で考えたいところですね。

そのほかにもう一つ。

慣性系(静止または等速直線運動)しているもののみに当てはまる。=重力が働いているところはどうなる?

重力が働くという事は、一定の力が加わり続けるという事ですね。
つまり、等加速度運動をしているという事です。
だから、慣性系とは違うと普通なら考えます。
という事は、重力が働いているところでは特殊相対性理論が使えない、という事になります。

でも「使えない」では困るんですよ。
というのも、特殊相対性理論は、電磁気学にぴったり当てはまるんですね。
だから、重力が働いているところで特殊相対性理論が使えないとなると、電磁気学までもが重力の働いているところで使えなくなる、なんてことになりかねない。

だから、何とかして使える道筋を探さないけないわけで。

突破口は、屋根から落ちた職人の話でした。

屋根から落ちた職人さんの話とはこういうものでした。
「屋根から落ちた瞬間に、ふわりと体が浮いた感じがした」
これ、今はジェットコースターなんかで体験できますね。
(ちょっと昔のエレベーターは、この”ふわっ”とした感じを体感できたのですが、なんか最近そう感じないようになってます)

これが何を意味するかというと、

「自由落下しているところでは、重力を感じない」

という事ですね。
この、”感じない”と言うのが重要です。

重力を感じないということは、重力がかかっているかどうかわからない、ということです。

例えば、自分が密閉された空間(外の様子がわからない状態)でふわふわ浮いているとします。
この場合、この空間には「重力が働いていない」 = ”無重力” と考えてしまうでしょう。
でも、そう簡単に話は終わらないんです。

実はその空間ごと自由落下していても、ふわふわ浮くんですよね。
この場合、この空間は「重力は働いているが、重さが感じられない」 = ”無重量” なんです。
地球を回る軌道上で宇宙飛行士が体験しているのが、この無重量状態なんです。

でも、密閉された空間で外の状態がわからない場合、自分のいる空間が”無重力”なのか”無重量”なのか、分からないんですよね。

無重力と無重量、どちらかわからないのであれば、2つは同じものと考えてもいいだろう。=等価原理です。

無重力と無重量、自分がどちらの状態かわからないのであれば、2つの状態を同じものと考えて、同じように扱っていいだろう。
そういう考え方を等価原理と呼びます。

これにより、重力が働かない状態=無重力状態=慣性系で考えていた特殊相対性理論を、重力が働く自由落下状態=無重量状態でも使えることになったわけです。
どうです?等価原理、すごいでしょ?
アインシュタインさんが等価原理の事を、「生涯でもっとも素晴らしいアイデア」といったのも納得ですね。

「いやいや、無重力と無重量がわからないなんてことないでしょ。外から見たら一発でわかるし」
という方、ちょっと待ってください。
ここで問題なのはそこじゃないんです。
アインシュタインさんをその後10年間ものあいだ悩ませた問題は、次の事です。

中にいる人が、無重力と無重量を区別できないのであれば、2つの状態における物理現象が同じに見えるはず。

これなんですよ。
「これのどこに問題があるんだ」と思いましたよね。
実は問題が大ありだったんですよ。

重力を感じない空間で、光を出した時の軌跡を考えてみます。

例えば、自分がふわふわ浮いている空間で、ボールを壁に向かって真っすぐに投げたとします。
この場合、無重力状態でも無重量状態でも、ボールは壁に向かって真っすぐ飛んで、壁にあたりますね。
(跳ね返ってくるところはこの際考えません)
これが、2つの状態で物理現象が同じに見えるという事です。

これが光だったらどうでしょう?
無重力状態でも、無重量状態でも、壁に向かって真っすぐ飛ぶでしょうね。
ただ、この場合、その状況を外から見た時、ちょっと困ったことになります。
特に、無重量状態の時に。

無重量状態という事は、”自由落下している”ということです。
これは外から見れば、何かに引っ張られて等加速度運動していると見えます。
もちろん、密閉している容器(部屋?)も、中にいる人も。
そして、光の粒も、引っ張られて落下していることになります。

そうなんです、その密閉空間の外から見ている人には、光が重力によりまがって進んでいるように見えるはずなんです。
光が曲がって見えると何か問題があるか?ですか。
実は大ありなんですね。(先ほどと同じ続き方になってしまった・・・)

密閉空間にある光の粒ではなく、光の”帯”を考えると、奇妙なことに気づきます。

どうやら、今でも運動会で行進をするようなので、その状態を考えます。
行進している状態というのは、人の”帯”の様なものですからね。
この行進がまっすぐ進んでいる間は、何も問題ないんですが。

行進しながら曲がるとき、どうしたらいいでしょうか。
コースの内側の人がゆっくり、外側の人が速く進まないと、うまく曲がれないですよね。
そう、帯の状態で曲がるときは、内側と外側で速さが変わっていないとうまくいかないわけです。

これを光の”帯”に当てはめると、とっても心臓に悪いことになります。
というのも、カーブの内側にある光(の粒)は、外側の光(の粒)より遅くならないといけない。
そう、光の速さが変わってしまうのです。

あ、これが真空から真空以外の物体に入射するのなら問題ないんですよ。
物体の中では光の速さが変わりますので、これが原因で光が屈折するんです。
ところが、今考えているのは、真空中での光の速さが、帯の外側と内側で変わると言っているわけです。

これ明らかに、特殊相対性理論の根っこにある「光速度不変」に矛盾しているように見えます。

”重力の働くところに特殊相対性理論を当てはめようと等価原理を考えたら、そもそも特殊相対性理論の前提となっている光速度不変に矛盾してしまった様に見えた。”

大問題でしょう?

”(矛盾しているように)見えます”と書いたのは、その解決方法をアインスタインさんが見つけたから。

といいつつ、アインシュタインさんが一般相対性理論を発表したのが1915年から1916年です。
1905年に特殊相対性理論を発表してから10年かかっているわけですね。
何がそんなに難しかったかというと、多分次の2点です。

  • 数学的に難しかった。

リーマン幾何学というものを導入していますが、これが難しい。
(2021年6月現在、私が一生懸命勉強していますが、手ごわいです。)
なので、一般相対セ氏理論を数学的に追いかけるのは、おいおいにしておきます。

そしてなにより

  • 思い切るのに覚悟が必要だった。

特殊相対性理論の、光速度不変以上に思いきることが必要でした。
かなり、とんでもない状態を想定しないといけないものでね。
それがいったい、どういう内容になのかは、次回にいたします。

次の記事:等価原理からアインシュタイン方程式まで

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