ルネサンスとは何だったのか? その3 大まかな時代背景

不思議大好きの、まんぼうです。
さて、ルネサンスについても3回目。
いよいよ本格的な調査に入ります。
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前回の最後にも書きましたが、手始めにルネサンス周辺の時期に起こった出来事を列挙しました。

  • 百年戦争 1337 – 1453
  • 東ローマ帝国滅亡 1453
  • ルネサンス 15世紀-16世紀
  • 大航海時代 15世紀-17世紀
  • Age of discovery(日本以外での大航海時代の呼び方) 15世紀 – 18世紀
  • レオナルド・ダ・ビンチ1452-1519
  • グーテンベルク活版印刷 1445
  • 新大陸(アメリカ大陸)発見1492
  • 15世紀 屈折率の高いクリスタルガラスヴェネチア
  • カトリック教会による免罪符(贖宥状)発行 1515
  • マルティンルターの宗教改革 1517
  • 神聖ローマ帝国軍によるローマ劫掠 1527
  • コペルニクス天体の回転 1543
  • 望遠鏡 1589?
  • ガリレオ裁判1回目1613
  • ガリレオ裁判2回目1633
  • ガリレオ・ガリレイ1564-1642

キーは”東ローマ帝国の滅亡”?

何とまあ、色々起こっていることでしょう。
興味深いのは、大航海時代と時期的にほぼ被っていること。
でも、これはある意味必然的なんですよね。
なぜなら、両方とも原因が”東ローマ帝国の滅亡”だから。
ちなみに、大航海時代というのは、日本だけの呼び方の様で、海外ではAge of Discoveryとなっています。(期間も少し長いですね)
余談はこのくらいにして、ルネサンスと大航海時代の両方の視点から東ローマ帝国の滅亡を見てみましょう。

東ローマ帝国の滅亡が与えた影響(ルネサンス視点)

東ローマ帝国の滅亡により、そこに住んでいた学者などの知識人が文献を携えてローマに来ました。
その人々や文献によって、ローマではすでに無くなってしまっていたギリシャ・ローマ時代の知識が、再度ローマに伝えられたのです。
そのころ、人々の活動は、すべてキリスト教により規定されていました。
物事の考え方から、絵の描き方に至るまで、ガッチガチに固められていたようですね。
そこに、ギリシャ・ローマ時代の自由な(のは当たり前です。なんせ、シバリを作るキリスト教がなかったんですから)考え方が入ってきました。
しかも、ギリシャ・ローマには物理的に(つまり彫刻や建築物として)、そのころの考え方を具現化したものが残っていました。

で、これは私の推測ですが、人間の自然な欲求として、”綺麗な物を作りたい”と言うのがあるのではないでしょうか。
さらに、人が綺麗と感じる物は、その人が日頃に接している形やパターンではないかと思います。
まあ、この説は結構色々なところで見ます。
国別の配色パターンとかですね。(南国では鮮やかな暖色系が好まれる、など)
こう言ったことから、自然=美しいとなって、まずリアルな絵画が作られるようになっていったのではないかと、私は考えます。
そして、そこから「人が”自然だ”と考える物を追求する」と言う姿勢が広まっていったのではないでしょうか。
この流れがルネサンスそして自然科学へとつながっていくように思います。

東ローマ帝国の滅亡が与えた影響(大航海時代視点)

時の流れを進める前に、少し社会的な背景を見てみましょう。
実はヨーロッパにおいて、ローマ時代からスパイスがとても好まれていました。
肉の臭み消しとして、防腐剤として、もちろんその鮮烈な風味を活かした調味料として。
そのスパイスは、インド地方から陸路で運ばれていました。
そして、その経路上には東ローマ帝国があったんですね。

ところが、東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされました。
そしてオスマン帝国は、自国の領土を通過する商人たちに、高額な税金を課したんです。
スパイスの値段はガン騰がりました。
以前のようにふんだんにスパイスが使えなくなったヨーロッパの人々は、やがてオスマン帝国を通らない経路でスパイスを運ぶ方法を模索し始めました。
しかし、オスマン帝国はそのころ、北アフリカもその勢力圏に置いていたのです。

そう、通れるのは”海”しかなかったのです。
こうして、多くの人々が海へ出て行ったのです。
ある者は、アフリカ大陸を南下して、喜望峰を回ってインドへ。
またある者は、西回りでインドを目指して、新大陸(=アメリカ大陸)へ。

東ローマ帝国滅亡という1つの事象が生んだ2つの大きな流れは、その後どうなっていくのか?

こうして生まれた2つの大きな流れ。
それらは、人々の考え方や価値観を大きく変えながら、それぞれ進行していきます。
もちろん、何度も交差しながら。
これから私は、ルネサンスと自然科学に軸を置きながら、この時代の流れを追ってみたいと思います。
次回からは、少し時代を戻して、百年戦争の終結と、あの偉人の誕生あたりから始めていきたいと思います。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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