ルネサンスとは何だったのか? その11 ルネサンスと科学誕生の関係、とおまけで科学的とは何か?

不思議大好きの、まんぼうです。
このシリーズでちょっと紛らわしい書き方のところを見つけてしまい、少々慌てています。
正確に書くっていうのは難しいですね。
さて、今回は前回の予告通り、ルネサンスが科学の誕生にどのような作用をしたのかを見ていきましょう。
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まんぼうの結論、再確認。ルネサンス2つのキーワードは”リアル”と”個”。

かなり前ですが、ルネサンスのキーワードは”リアル”と”個”であると私は結論付けました。
”リアル”は主に美術において表現され、”個”はルネサンス文学の根幹をなすものとなっていました。
ここで確認しておきますが
リアルとは
「本質、本物、真のという意味」
個とは
「個人、別々、それぞれ、」
といった意味とします。
さて、これら2つがルネサンス以後の色々な変化に影響を与えていくと考えているのですが、それを考える例として”宗教改革”を考えてみましょう。

宗教改革とルネサンス

まず、宗教改革についてwikipediaの内容をまとめておきます。
「宗教改革は人文主義者によって聖書の研究が進んで、原始キリスト教精神への回帰的運動として起こった」
wikipedia中には「ルネサンス的運動」という言葉もありますし、まさにルネサンスの申し子というべきものと考えます。
さて、この運動はあるものに対抗する形で発生するのですが、それは当時絶対の権力を持っていた”伝統的キリスト教”でした。
もちろん、この伝統的なキリスト教においても、聖書が絶対のものであったことは事実でしょう。
しかし、時代を経るにつれて、その他に権威や歴史といった物からくる、様々な追記事項が付属していきました。
この付属したものが、どうも納得しにくいものが多い。
ましてや、贖罪符(=免罪符)に至っては、どうにも納得できない。
そんな思い・不満が盛り上がってきていたのです。
そこで当時の人がどうしたかというと、それぞれが本物を直に調べる、ということをしたわけです。
本物とは、後付けされたあれやこれやを取り払ったもの、つまり聖書そのものだったわけです。
そうすることで、当時のキリスト教で「納得できないこと」が「納得できた」訳ですね。
こうした納得感が広まって、宗教改革となっていった、と考えています。
え?”個”はどこに関係したのか?ですか。
それは、”それぞれが”聖書を調べたというところで関係しました。
つまり、だれか偉い人の言葉ではなく、昔の偉い人の言葉ではなく、自分で聖書を呼んで考えて、結論を出すという行為、それこそが”個”の作用といえます。

いよいよ科学誕生とルネサンスの関わり

ここまでくれば、科学の誕生もすごく自然なものに受け取れます。
この世のあり方について、昔の偉い人の説や、今までの常識にとらわれることなく、現実に直接向き合ってその現象を調査し、その結果を受け入れる。
いきなり”真善美”という壮大なテーマを考えるのではなく、身近なところの個々の現象に着目して仮説を立て、それらを積み重ねていく。
こういった作業が次第に科学と呼ばれるものになっていったわけです。
しかも、立てられた仮説は、その後何度も検証され、その検証に合格し続けた物だけが生き残っていくのです。
もし検証で不合格となれば、たとえそれがどれほど望ましい説でも、美しい説でも、却下される、とても厳しい世界です
だからこそ、科学は信頼するに足りると現在では考えられているわけですね。
そう、よく「科学的に○○である」なんて言われますが、これは”この結論は信じるに足るものですよ”という意味を含みます。
でもね、この”科学的”って何でしょうね?

はて?科学的ってなんでしょう?

科学的そのものを考える前に、科学的××というものを考えてみましょう。
・科学的手法とは?
仮説・調査・検証のセットですね。
仮説はほぼ言葉で作られ、調査は実験だったり式の展開だったりして、検証は実験結果を計算することだったり式の展開結果と現実の照合だったりします。
調査の家庭や検証結果は、できるだけ客観的、つまり誰が見ても納得できるものである必要があります。
そして、仮説の部分には、前提条件が含まれることが多く、それが否定されると、その説が否定されるという、”反証可能性”をもちます。
・科学的事実とは?
科学的手法で導き出された結論、なんですが、私はもう一つ意味を付け加えたいと思います。
それは、”幾度もの調査・検証に耐えたもの”ということです。
ただ単に長い期間信じられただけでは、科学的事実とは言えないと考えます。
その間に、幾度もの調査が行われ、その検証にことごとく合格したもの、それが科学的事実と呼べるのだと。
そう考えると、軽々しく我々素人が「科学的~~」とは言えないよなぁと思っちゃいますよね。
まあ、世の中では案外そこまで考えずに、「偉い先生が言っていたことだから、これは科学的に正しい!」って、行ってしまうことはありますけど。
とはいえ、我々素人でも、できるだけ科学的に考える事ができる方法があります。

我々素人が科学的に考える方法、それは”できるだけ自分の頭で考える事”

そうなんです、できるだけ自分の頭で考える事なんです。
わからないものはできるだけ調べて、その情報を可能な限り自分の頭で考えるんです。
自分が欲しい結論に都合がいい情報と、そうでない情報と、同じ重みでもって考えることです。
そして、新しい情報が出てきたとき、それをすぐに鵜呑みにせず、かといって拒絶しない、そんなバランスでもって考え続けることです。
世の中、いろんなトンデモ科学がありますし、あるいは自分に都合の悪いものをトンデモ呼ばわりして否定している場面もあると思います。
そんな中で、”できるだけ自分の頭で考える”という習慣をつけていれば、被害にあいにくいんじゃないかなと思います。
(まあ、限界はありますがね)

さて今回はここまで。
最後のほうでかなり脱線しましたけど、まあ、それも良しとしましょう。

長かったルネサンスシリーズも、残すところあと1回となりました。
ラストは、「なぜ、ルネサンスの時期以降で、誕生した科学が発展できたのか?」を考えます。
実際、ギリシャ時代の考え方で、結構本質をついていた物ってあるんですが、それらは長らく忘れられていました。
中には、意図的に消されてしまったものもあったように思います。
しかし、ルネサンス期以降は、少なくとも消されることはなくなりました。
これは、ある技術が関係しているのですが・・・
これを題材にして、科学とは?技術とは?のような次につながる物語にしていきたいと考えています。

まあ、その前に、以前のページで少し紛らわしいところがあったので、それを訂正することにするでしょうけど。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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