ルネサンスとは何だったのか? その8 哲学・神学・科学の中から、まず哲学について

不思議大好きの、まんぼうです。
最近、ノンアルコールビールを飲みながら、色々と考えるのが楽しくて仕方ありません。
この回も、もちろんノンアルビールを飲みながら書いています。

さて前回の予告通り、哲学、神学、そして科学について触れていきます。
この3つについて、成立した時期を古い順に並べると、大まかには哲学→神学→科学となります。
ですので、最初に哲学について見ていましょう。
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哲学ってなに?(かなり大雑把かつ、一部結論が出ず・・・)

実は、この項を書くために、それなりに哲学を調べてみました。
ところが、さっぱりわからない。
何がわからないかというと「哲学によって一体何をしたいのか」なんです。
つまり、目的や目標というものですね。
そうそう、あくまでも、わからないのは”現在の”哲学の事です。
昔はある意味はっきりしていました。
目的は「この世界がどうなっているのかを解き明かす」、つまり真理の探究ですね。
近代までは、とりあえず真理の探究を目的とする流れが、それなりに強かったようなんですけどね。
ところが現在の哲学については、wikiの現代思想の項をみても、哲学者の話を見ても、さっぱりなんですね。
(一番ハテナだったのは、”~~という誤解”というものを羅列してあるだけのページでした。)
そんな中で一番しっくり来たのは「哲学とは知を楽しむ学問」というところ。
哲学は英語でphilosophyですが、この語源は”知への愛”ですから、そのままといえばそのままです。
ただ、この場合、ありとあらゆる学者・愛好者(もしかしたらオタクの方々)が全て、”哲学者”となってしまいますね。
まあ、それはそれでいいのでしょう。
さて、現在の哲学の目的がわからないのは置いといて、中世(もう少し具体的には、ルネサンスの少し前、11~12世紀)において、哲学は「真理の探究」を目標としていました。
そしてそのころに、哲学界では哲学者達を2分する大きな論争が起こっていたのです。
これが普遍論争というもの。

普遍論争って何?

私のこのあたりの知識は、完全に付け焼刃なので、そこをご了承いただいた上で聞いてください。
普遍論争というのは、普遍という概念が個に先立ってあるのか、それとも個があってその後にできるものか、というものです。
さすがは哲学の論争です、ズバっと普通の人間を置いてけぼりにしていますね。
私もいろいろな説明サイトを見てみましたが、なかなかこれといったものは見つけにくかったですよ。
そんななかで一番私がわかりやすかった例で説明しますと。

  1. 私、まんぼうは、人間です。
    (妻は私が食欲魔人に属していて、人間の範疇におさまらないと主張していますが、そこは今回無視します)
  2. この記事を読んでくださっている皆様も人間ですね。
  3. さて、この「人間」という概念は、果たして・・・
  • A. 元々存在していて、それにより私も他の方々も人間になっている(人間として作られている?)のか
  • B.私たちがいて、その共通点等によって初めて”人間”という考え方が出来上がる。
    のか、

どちらなんでしょうね、ということです。
まあ、普通、Bって思いますよね?
でも、Aのパターンがあることを、私は大学の教養課程で知りました。
例は「ハサミ」。
ハサミは、まず誰かの頭の中にその設計図(目的やらなんやらを含む)があって、それが具現化したものです。
も少しなじみ深い言葉を使いましょうか。
ハサミは、ある人の”ハサミというアイデア”から作り出されたものです。
なので、ハサミというアイデアの前には、ハサミは存在していなかったんですね。
どうです?納得いただけました?
実は、哲学の普遍論争において(というより、そこに至る過程において)、普遍は「イデア」と呼ばれます。
そうですね、アイデアの語源がイデアなんですね。
さて、いい感じで頭が混乱してきたところで、もう少しだけつっこんでみましょう。
Aの考え方は「実在論」というもので、プラトンが提唱した「イデア論」(=イデアがあるという考え方)が源流となっています。
Bの考え方は、「唯名論」というもので、古くからあるアリストテレスの考え方を発展させたものです。
つまり、このあたりの論争は、そんな前から(下手したらギリシャ時代から)ずっと続いてきたんですね。
私が思うに、これはどちらが正しいと決着のつけられない問題だからじゃないでしょうか。
(つまり、どっちも正しい。科学でいうと、”光は粒なのか波なのか”、のようなものかも・・・)
それでも中世には、それをとことんまで追求して、ある意味かなり無理やりな折衷案まで作り出されたりしました。
(これをしたのが有名なトマス・アクィナスさんです)
折衷案といっても、かなり実在論の方を持ったものだったようですが。
なぜそこまで粘着しなければならなかったのか?

どうしても白黒つけなきゃいけない。その理由は「神様」。

この状況であれば、私なら
「ああ、どっちもありなんだなぁ」
で、済ませます。
でも、中世の人々にとっては、白黒はっきりさせないといけなかったんです。
しかも、Aつまり実在論のほうで。
その理由は、全知全能の神様が存在しているからなんです。
私のキリスト教の知識は、付け焼刃ですらないのですが、
”全ての者は神の意志で存在している。”
ということを主張していると理解しています。
ということは、神の知らないものが存在してはいけないんですよね。
先のハサミの例で言うと、ある人の頭に浮かんできた”ハサミの概念”は、神様がその人の頭に送り込んだ情報である、と考えるわけですね。
人間の場合であれば、神が考えた”人間”というものを、泥かなんかから作り出した、とするんですよ。
ほら、聖書に合ってくるでしょう?
実際に、この時期以降、実在論が主流となり、それをもとにスコラ哲学が出現して、神学になっていきます。
この後も、どうやら哲学は残っていくようですが、聖書に合わない論を展開すると弾圧されるようになっていくんですよねぇ。(地動説で火あぶりになるように)

予想はしていましたが、哲学だけで1回使っちゃいました。
次は、神学と科学で1回にする予定です。
理由は、この2つは哲学を根っことして持ちながら、つまり哲学を共通点として持ちながら、正反対の立場をとるようになった物だからです。
そういうものは、両者を比較しつつ考えるとより理解が深まりますからね。

(といいつつ、1回で済まないかも・・・)
ということで今回はここまで。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。
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