ルネサンスとは何だったのか? その10 哲学と科学、その違いについて

不思議大好きの、まんぼうです。
実は本日、3本目のブログ投稿です。
(先の2本は、何でもありブログの「カフェはしびろこう」にあります。)
こちらの科学系ブログでも、そろそろ新しいシリーズを始めたいなと思っているのですが。
このルネサンスシリーズを完結させないと気持ち悪いですからね。
どんどんペース上げていきます。

さて今回は、前回の予告通り、哲学と科学の違いについて話を進めていきます。
っと、そうそう、ここでは科学という言葉を「自然科学」と言う意味で使っています。
これは、”科学”という言葉の定義としては、最狭義なものです。
ちなみに、科学という言葉の広義なものとしては「体系化された知識や経験の総称」で、狭義な意味では「科学的方法に基づく学術的な知識、学問」となっています。
(wikipediaより)
このシリーズでは”科学”を、この中の最狭義である「自然科学」の意味で使っているつもりですが、今まで意識していなかったので、これから見直ししてみます。
もし、狭義または広義な意味で使用していたところがあったら、注記を付けておきます。
さて、話を進めていきましょう。

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哲学と科学の違いって、そんなに難しいの?

前回の予告でも書きましたけど、皆さん結構簡単に哲学と科学の違いを認識していると思います。
かく言う私もその一人でしたから。
曰く「哲学は言葉で考え、科学は数学で考える」、曰く「哲学は抽象的で、科学は具体的」、曰く「哲学は役に立たないが、科学は役に立つ」などなど。
しかし、事は本当に単純なのでしょうか。

哲学と科学の違いだと思っていたものが、よく見てみると違っていなかった事がたくさんあって。

哲学と科学の同じところは、少なくとも中世においては”真理の探求”を目的としていたところ。
であれば、そのアプローチ方法に違いがあるのでは?と思いますよね。
良く「科学は数学で考えることであいまいさを除外して具体的な結果を出せるようになった」なんて言いますけど、果たしてこれ、本当でしょうか。
「科学は数学で考える」、というのはちょっと違っていて、「科学は数学で説明する」が本当です。
科学にしたって、説明する前の仮説を立てるところとか、その前の考えるところは当然、言葉で行います。
例えば、アインシュタインが特殊相対性理論を考えたときの、「光と同じ速さで同じ方向に動いたときに光はどう見えるんだろう」というのは、完全に”言葉”で考えています。
そして、その結果出した「物体は光を超える速度で移動できない」とかその辺の結論も、言葉で表現しています。
どこで数学を使うかというと、その後の証明や説明で使うわけですね。
”科学は具体的”といったところで、仮説を立てる前の段階では当然、抽象的です。
アインシュタインの行った”思考実験”はまさに、「科学も出発点は抽象的である」という証明ではないでしょうか。
ちなみに、哲学も証明の段階では論理学を使いますし、それは十分具体的だといえると考えます。
最後に、”科学は人の役に立つ”ですが、実は科学そのものが役に立つわけではありません。
それを使った”技術(=科学技術)”が役に立つんです。
それは、最新宇宙理論を考えればわかるのではないでしょうか。
クオークがどうのこうのというのが、役に立つ訳ではないですよね。
(そのうち、この理論を応用した技術が役に立つ可能性はありますが)
どうですか?こう考えると、哲学と科学、違いが見えなくなってきませんか?

違いは”姿勢”。哲学はトップダウン式を目指し、科学はボトムアップ式を実践している。

私が悩みぬいた末に出した結論は、”両者の違いは、真理に対するアプローチの方法”という事でした。
哲学は、真理として人間の最高の価値、”真・善・美”を設定して、それに直接アプローチすることにチャレンジし続けていると見えます。
(もしかしたら、この試みは現在哲学の1派であるのかもしれません)
真理に到達してしまえば、そのほかのあれやこれやは自然に解明されていくという考え方ですね。
私はこれを”トップダウン式”と呼びました。
(もしかしたら、結構一般的に通用する言葉かもしれませんが)
それに対して科学は、いきなり究極の真理に迫るのではなく、身近な事象を一歩一歩検証していくことを実践してきました。
その先に、究極の真理があると信じて。
私はこれを”ボトムアップ式”と呼びました。
目標は同じでありながら、アプローチ方法が違うため、現状が全く違う哲学と科学。
哲学から見たら
”科学は究極の真理をほったらかしにして、小さなことをこまごまと考えているだけ。常に究極の真理について考察し続けている哲学には及ぶまい”
と感じるでしょう。
一方科学から見ると
”いつまでたっても究極の真理とやらの影さえつかめていないのに、そんなものばかり追いかけている哲学は、なんと非効率的なのか。できることからコツコツと積み重ね続けいてる科学に及ぶものではない”
と感じるでしょう。
このようにお互いが考えている間は、おそらく両者は犬猿の仲としていがみ合う事でしょうね、ただ・・・

もし、哲学と科学が協力することができたら・・・

哲学者は、数千年間答えが出ていない、おいそれとは結論の出ないテーマに挑み続ける方たちだと思います。
なので、行き詰った時に今までとは違う観点からアプローチするということに慣れているのではないでしょうか。
ただ、身近な問題について、それを問題と認識しない傾向にあるのかもしれません。
それに対して、他の科学者(自然科学者、人文科学者を合わせて)は、仮説を立てた後の理論の展開や証明に関する手法に長けています。
しかし、今までに立てられた説に気を取られるあまり、ダイナミックな発想の転換は苦手なのかもしれません。
※ダイナミックな発想の転換で、常識を破壊した=パラダイムシフトを起こした科学者は、どこか哲学者の香りがします。例えば、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン達です。
ですので、それぞれがお互いの短所をカバーしあうことができれば。
例えば、
・現在世界的に貧富の差が開いていると思います。
これは、自由経済社会の限界が来ているんだと思います。
しかし、経済学者たちはあくまで、”現行のシステムでの様々な理論”を考えるのが得意なはずです。
ここで哲学者が、新しい考え方なり新しい思想なりを提案したとします。
経済学者たちはおそらく、それをもとに理論を展開して新しいシステムを構築するのではないでしょうか。
・最新物理学では、色々と行き詰まりも見られます。
これは現在の物理学者が今までの理論に引きずられているからかもしれません。
ここで哲学者が発想の転換のきっかけを作ったとします。
すると物理学者たちはそれを、計算し、実験し、検討した結果、新しい理論が出来上がるかもしれません。
ここで必要なのは、哲学者にそれらの問題検討の価値があると説明できる人の存在ですね。
可能であれば、野良科学者のまんぼうがそこに関わることができると楽しいのですが。

ちょっと最後のほうで話がそれましたが、今回はここまで。
次回は、科学が誕生する時に、ルネサンスがどのように作用したか、を考えていきます。
今年の3月から始めたこのシリーズ、ようやくエンディングが見えてきました。
新シリーズの構想もいくつかありますし、他の部門(ニットやダイエットやゲーム)もやりたいことがいっぱいあります。
スピードアップ、していきたいですね。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。
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