利他に潜む闇 利他を要求することの恐ろしさ

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
皆さん、お盆休みは楽しんでいるでしょうか?
もちろん、今夏のお盆は、新型コロナの影響で例年とはいろいろ違うことと思います。
それでも、家でできる楽しみっていくらでもありますからね。
私も、日曜日に届いた部材を使って、PC周りを快適にしたり、月曜日に久々に手作り餃子(皮からお手製!)を作って失敗して、この連休中に再チャレンジする事を誓ったり。
いろいろしてます。

不思議なのは、世間的に「長く休んでも家ですることないし」「休み長くても家でごろごろするしかないし」って人が多いこと。
うちの会社は今日と明日が普通の出勤日で、2日休めば8連休なのに、結構休まない人が多いようで。
(ちなみに、前の土曜日は月に一度の、F○C○な土曜出勤日)
家でごろごろするしかないなら、ごろごろしたらいいでしょうにね。
8日もごろごろできるのは、貴重だと思うんですけど。
もしかするとあれですかね?連休にせずに出勤することで、愛社精神をアピールするとか??
いわゆる、”なまけものの節句働き”とか??
まあ、そんな時代遅れなことは今どき言わないとは思いますが。
とにかく、私は休みがあっても・・・なんて事とは無縁な状態ですので。
強行して2日休んでます。
(まあ、連休前にちゃんと仕事は終わらせてますけどね)

さて、前置きはこのくらいにして。
今日は、前々から記事にしたいと思いながらタイミングが見つからず、また踏ん切りもつかず、見送っていた内容です。
ちょっとダークなのであしからず。

利他に潜む闇 利他を要求することの恐ろしさ。

以前から「利他」という言葉はとても恐ろしいと考えてきました。
そして、「利他」という言葉を使う人は、信用できないと考えてきました。
そんな中で、最近見た記事で、豊田真由子さんが「新型コロナウイルスとどう向き合えばいいのか 豊田真由子がいま伝えたい3つのこと」という題で記事を書かれていました。
ここでこの方が「利他」という言葉を使っていたんですね。
当然のことながら反発を覚えたのですが、内容を読まずに反発したのでは、科学の子の名折れですので。
ちゃんと記事を読んでみたところ、この方の言う利他は”本物の利他”でした。
そう判断した理由は、記事の中にフランスの思想家 ジャック・アタリさんの言葉として「利他主義は、合理的な利己主義である」という言葉を引用されていたから。
私が読み取ったところでは、”利他主義は利己主義の上位互換であり、利己主義を含んでいる”ということでした。
利他の”他”の中には”己”が含まれるべきである、という私の考えと一致します。
そして、これこそが”本物の利他”であると考えます。
しかし、実際に世間で言われている「利他」は、かなり違うようでして。
このあたりについて、少しずつ説明していきましょう。

「私は他人の事だけ考えている。だから利他主義だ」という言葉に潜む矛盾。

ちょっと哲学的になりますが、順を追って説明していきます。
一応一言でいうなら、
”他”は”己”があって始めて定義されるという事なので、”他”だけを考えることは不可能。
よって、「私は他人の事だけ考えている」は矛盾する
ということですね。
有名なデカルトの言葉に「我思う、ゆえに我あり」があります。
あんまり好きな言葉ではないですし、いろいろ批判される部分もありますが。
これと同じように、”他人”の事を考えている”自分”という存在は否定できないのですよ。
そして、考える材料は、すべて”自分”が提供しているので、”自分”をもとにして”他人”を考えるしかない。
よって、自分を無視して「私は他人の事だけ考えている」という状態はあり得ないわけですね。

ただ、自分を基準に他人を考えるのは、実は傲慢になる可能性を秘めているんですけど。
例えば、ウサイン・ボルトさんが
「私は100mを10秒で走るのなんて簡単だから、みんな100m10秒くらい簡単にやってもらわないと」
といったとして。
これにうなずける方が、果たして何人いらっしゃるか?
にもかかわらず
「俺は若いころ徹夜徹夜で仕事してきた。従業員にもこれくらい簡単にやってもらわないと」
というものには、不思議とうなずく方が多いんですよねぇ。(特に年配の方は)

とにかく、この時に必要なのは”想像力”。
自分にできない事を見つけて、それを簡単にしてしまう人がいることを知って、だから私にとって簡単なことでも。それが簡単にできない人がいる、ということを想像する力ですね。
つまり、自分を基準にしながらも、きちんと想像力を働かせることで、人は他人を思いやることができるんですね。

このように、己があって他のことを思いやるのが”利他”だと考えます。

「利己になるな。利他になれ」と言える人の精神構造。

真打登場というところです。
「利己になるな。利他になれ」という言葉を使う人がいます。
いやむしろ、この言葉に矛盾を感じることなく”使える”人がいるという、不思議な現象があります。
そして、この言葉に矛盾を感じず賛同し、他人にこれを求める人がいます。
私にはこれが信じられないのですが、なぜ信じられないかをご説明します。

ここにAさんとBさん2人がいたとします。
そしてAさんがBさんに「利己になるな。利他になれ」といったとします。
この時、Bさんにとっての”己”と”他”を考えると、私がこの言葉を恐れる理由が見えてきます。
言うまでもなく、Bさんにとっての”己”は「Bさん」、Bさんにとっての”他”とは・・・「Aさん」です。
これをもとに、ちょっと修飾を加えながら、言い換えをしてみます。
「利己になるな。利他になれ」
=「お前のことは考えるな。俺様の事を考えろ」
どうですか?この恐ろしさ、感じていただけましたでしょうか?

さらに恐ろしいことに、これが仏教の教えから来ているとおっしゃる方もいらっしゃって困ります。
こんなひどいことを、仏教が言っているわけがないですから。
もっと恐ろしいのは、これを社訓にしたり、経営のバイブルにしたりする方がいらっしゃること。
先ほどのAさんBさんの事をさらに考えて、Aさんが雇用主でBさんが従業員とします。
従業員に向かって「お前たちは自分の事は考えるな。雇用主の私の事だけを考えろ」といったとしたら?
超ブラック一直線!って感じですよね。

もしかすると、これらの闇の部分を理解して使っていらっしゃるのでしょうか?

「利他」を要求する人・集団からは、逃げた方がいいという事。

幸いにして、冒頭で紹介した豊田真由子さんが言う「利他」は”本物の利他”なので、無害です。
しかし、世間で言われる「利他」には、かなり恐ろしい意味で使われるものがあって、特にそれを要求された場合、その可能性が高いということを覚えておきましょう。
そして、利他を要求する人や集団が、どんな意味で「利他」という言葉を使っているかを確認し、もしそれが「利己の上位互換である利他」でなかった場合は、すぐに距離を取るべきです。

余談ですが、豊田さんはもう少し突っ込んだ話をしてほしかったと考えます。

言うまでもなく、この方は頭の切れる方です。
例の「この、ハゲ~」にしても、自分の有能さを基準に他人の能力を考えたときに、もどかしく感じたことが原因でしょう。
さて、そんな頭の切れる豊田さんですから、提案してくださっている3つの事について、もう少し突っ込んでほしかった、と考えるのです。
つまり、「総論賛成。各論不足」というところですね。
一つ一つ見てみましょうか。

1.心構え
おっしゃることはごもっとも、ですがもう少し突っ込んでみましょう。

  1. 「新型コロナにかかるのは、悪いことではない」
  2. 「飲み屋さんや、接待のある飲食店で新型コロナにかかるのと、オフィスで新型コロナにかかるのに、意味の差はない。むしろ後者の方が有害なことがありうる」

あたりはどうでしょうか?
aについては、新型コロナの第2波初期に、「夜の町」で蔓延していると公的機関が発表したことが悪かったですね。
人間はこの情報から、逆に「新型コロナにかかるのは、夜の町に行っている奴だ」と考える性質があるのかもしれません。
まあ、夜の町は置いといても、”遊び惚けている愚か者”くらいには思っている雰囲気があります。
なので、ここらで「新型コロナは、普通に生活していてもかかるものだ」という、正しい方向にきっちりと方向転換してもらったらどうでしょう?
bについては、

  • 娯楽に消費することで経済を回した結果、新型コロナにかかる

のと

  • テレワークで可能な業務にもかかわらずオフィスに出勤を強制されてその結果、新型コロナにかかる

では、明らかに後者の方が有害ですね。
ただ、後者の場合でも非難されるべきは新型コロナにかかった人ではなく、その人に出勤を強制した企業・会社なわけですが。
ここからさらに突っ込んで

  • 「テレワーク可能な人を出勤させる企業をはじめとして、テレワークを妨害する人々は全て、新型コロナを利するものであり、いわば利敵集団・利敵行為といえる」

くらいに言うのは、言いすぎなんでしょうかね?

2.どういう生活を送ればいいか
色々おっしゃってますが、とどのつまりは

「できるだけかからないようにする」
「自分がかかっていると想定した行動をとる」

という事でしょうか。(最後のところを抜き出しただけですが)
私が思うに、これは

「自分に症状が出ているかは別にして、他人にうつさない行動を常にとる」

ということに集約できるのではないかと思います。
というのも、「できるだけかからないようにする」ために手段が、行動の自粛しかなく。
行動を自粛すると、経済的ダメージが大きいということがわかってきましたので。
反対に「うつさないための手段」としては、マスクの着用が効果的ということもわかってきました。
つまり、「かからない努力」よりも「うつさない努力」が効果的なんですね。
そして、新型コロナに関しては「症状がない人が他人にうつす」ということがわかってきました。
よって、「症状がなくてもうつさない行動をとる」ということが重要なんです。
出来ればもう一歩、「意味のない3密を取らせることは極悪」というようにしてはいかがでしょうか。
言うまでもなく、テレワークが可能であるにもかかわらず、オフィスへの出勤を強制する行為や、テレワークを阻止しようとする行動ですね。

3.利他の心で
出来れば「思いやりの心で」にした方が誤解を生まないのではないでしょうか。
世の中、「利他」といいう言葉を使う人たちには、これまで説明したように、とんでもない人がいらっしゃいますから。
いくら、豊田さんが「本物の利他」を説明したところで、そうした極悪人は「利他」という言葉だけを切り取るでしょう。
そして、
「あの豊田さんが言っているように、利己を捨てて利他になれ!」
と、従業員に強要するブラック経営者が出てくるかもしれません。
そうなると、いらぬバッシングのもとになるかもしれませんからね。
注意されるに越したことはないと思いますよ。

今回はここで終わり。
と言いながら、ちょっとネタがたまってきてますので、もしかすると、別の記事をアップするかも?です。
もちろん、楽しいほうの記事ですけどね。

それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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