私の好きな科学者・技術者 第2位 ガリレオ・ガリレイ

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
今日は私の好きな科学者・技術者第2位。
化学系ブログの「まんぼうのごとく」で、ルネサンスを考えるきっかけになった科学者です。
それでは早速。

私の好きな科学者・技術者 第2位 ガリレオ・ガリレイ

1564年~1642年

主な業績から説明しますと
落体の法則=重い物と軽い物を、同じ高さから同時に落とせば、地面に同時につく、というもの。
ピサの斜塔の実験で有名ですが、実際は重い球と軽い球を斜面から転がして実験したとのことです。

振り子の等時性=振り子のリズムは、紐の長さによってのみ変わり、重りの重さや振れ幅には関係しないという事。
振り子時計に使われている性質なんですね。
振り子時計は彼が作ったものではないのですが。

地動説=木星の衛星発見、金星の満ち欠けの発見、太陽の黒点の発見により確信したと言われています。
ただ、ケプラーに宛てた手紙から、かなり前より地動説を信じていた節があります。

代表的著書には天文対話、新科学対話があります。
天文対話は、1回目の宗教裁判の原因となり、新科学対話はあの屈辱的な2回目の宗教裁判の後に発刊されたものなんですね。

ガリレオ・ガリレイの特徴

実験や観測の結果から理論的に考察するという、現在の科学につながる手法をとった方です。
ここから「科学の父」と呼ばれることもあります。
しかし、この考え方が当時の主流(宗教的な考え)と真っ向から対立することになり、迫害を受けたんですね。
宗教裁判に2度もかけられ、最終的に自分の意に添わなかったであろう異端誓絶書を読み上げさせられたものの、何とか命を奪われることなく済んでいます。
2回目の裁判の後につぶやいたとされる伝説の名言「それでも地球は動いている」は史実ではないとされているものの、おそらくこの”意にそわない異端誓絶書”を読んだ後の彼の心境を端的に表したものと思います。

ガリレオ・ガリレイの魅力は、「権威に対して屈しなかった事」と思います。

”いやいや、2回目の裁判で意に添わぬ異端誓絶書を読んだじゃないか”
”そうやって、教会に屈することで生き延びたじゃないか”
とおっしゃるかもしれません。

しかし、私の考えは違います。
何も自分の信念に殉じて死を選ぶだけが対抗策ではないのです。
時に、屈辱を耐え忍んで生き延び、さらに功績をあげるというやり方もあるのではないでしょうか。
ちょっと違いますが、”韓信の股くぐり”の様に。

実際に彼は2度目の裁判でも有罪となり、軟禁状態となりながら、「新科学対話」という名著を書き上げてます。
そして、350年後、時の教皇ヨハネ・パウロ2世様は、ガリレオの裁判が誤りであったことを認め、彼に謝罪しました。
ちなみに、前にも別ブログで書いていますが、これでキリスト教による科学への迫害については、手打ち=精算と私は考えています。

信念を貫いて火あぶりにされながらも地動説曲げなかったジョルダーノはもちろん素晴らしい。
でも、それを知って、あたら命を落とすような真似をせず、生きて影響を与えることを選んだガリレオもまた、素晴らしいと思いませんか?

そうそう、以前科学系ブログの「まんぼうのごとく」でガリレオ・ガリレイを取り上げていました。

以前、Natureダイジェストというのを定期購読していた時に、ガリレオの手紙が発見されたという記事があって。
それをきっかけに、ガリレオのことを深堀してみたんですね。
以下の記事になりますので、興味のある方はご覧ください。

「発見されたガリレオの手紙から新事実」その1Natureダイジェスト 2018年12月号

「発見されたガリレオの手紙から新事実」 その2 Natureダイジェスト2018年12月号より

「発見されたガリレオの手紙から新事実」 その3 Natureダイジェスト2018年12月号より

「発見されたガリレオの手紙から新事実」その4 Natureダイジェスト2018年12月号

ということで、本日はここまで。
実は今、天文対話を図書館で借りて読んでいます。
なかなかコミカルで、そしてくどい・・・。
面白いお話です。
また機会があれば紹介していきたいと思っています。

それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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