「K値によれば、緊急事態宣言や自粛には意味がない」とおっしゃった先生が、「意味のある自粛をしましょう」提言しています。(総論賛成、各論反対)

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
私なりに、素人なりに考えて、COVIC-19どう対抗押してゆくべきか、いろいろと検討してきました。
まあ、私ごときが考えたところで、まったく意味はないと思いながらですが。
でも、どこかの誰かの参考になればということで、凝りもせず今日も書いていきます。
ちなみに、過去3回このテーマで日記を書いています。
時間軸って気付きにくいものですよね。
K値から「緊急事態宣言は意味がなかった」「自粛は意味がなかった」とするのは正しいのか?
今こそK値の威力が発揮される時ではないでしょうか!!
よろしければそちらもご覧ください。
それでは今日の分をさっそくお届けしましょう。

いわゆる8割オジサンも、自粛意味なしの先生も、そして私も、真剣にCOVID-19をどうしていくか考えている点では変わらない。

大先生2人の後ろに、厚かましくも私も入れさせていただきました。
あと、今までは2先生のお名前を出すと良くないかなと思って控えてたんですが、反対にお名前をお呼びしないほうが失礼かと思いましたので、ここからはお名前を出させていただきます。
いわゆる8割おじさんというのは、西浦先生で、COVID-19感染収束のために人々の接触を8割削減しないといけないと主張された方です。
自粛意味なしの先生は、藤井先生で、K値(この値自体は中野先生が紹介していました)から”今回の”緊急事態宣言”や”今回の”徹底した自粛は意味がなかったと主張されています。
私はご存じ、趣味を作ることが趣味の、野良学者(野良学者の時には”まんぼう”と名乗りますが)です。
わざわざ大先生の後に”私”を付けたのは、世界中の多くの人がこう(=COVID-19について真剣に考えるように)なればいいなという思いからです。
というか、そうであってほしいと、そうなればCOVID-19はきっと克服できると、私は考えます。
さらに、私は、COVID-19の災厄を克服するためには、科学的データといわゆる人情の両方面で立ち向かわないといけないと思っています。
そのうえ、物事の判断はその時の状況で正誤が反転するので、状況に応じて考え方を変えていく必要があると考えます。
ある時点では正しかった判断が、そのちょっと後では間違っているという事は、歴史を見てもしばしばありますから。
(代表例が幕末の尊王攘夷思想です)
そんなこんなを考えながら、単なる野良学者であり感染症や統計学のど素人であるはしびろこうが、いろいろと考えてみたいと思います。
あ、先に言っておきますが、「各論反対」とは書きましたが、反対=結論が違う、という程度の意味だと考えてください。

藤井先生が、意味のある自粛もあるとおっしゃってます。

もしかすると、今の東京の事例で見ると、緊急事態宣言解除や自粛とCOVID-19の感染拡大に相関がないと言い切れなくなったのかもしれません。
しかし我々は、こうして、前言を翻すのを「変節漢」と言ってはいけません。絶対にダメです。
新しいデータが出たら、それに合わせて論を修正していくのが正しい科学のあり方だと思いますので。
ただ、なぜ変えたのかははっきりさせておく方が良いと思いますが、どうでしょうね。
もしかすると、ネットのニュースになるときに、重要なところまで切り捨てられただけで。
初めから言っていることは変わらないのかもしれませんが。(そっちの可能性が高いかもしれません)
ただ、そうなると、過去のある時点でそこまでの確証を持っていたのはちょっと不思議ではあります。
先生なりに、なにかデータとか情報をお持ちだったのかもしれませんが

実は、私も意味のある自粛という事で、ブログの下書きを書いてましたが、その種類については正反対になりました。

その下書きしていたブログは、また次の回にでもご紹介するとして。
今日は藤井先生の説を中心に話を進めましょう。
藤井先生は、色々な検証をされた結果、
「意味のある自粛は、宴会やパーティーなどの自粛で、それもやり方を変えれば大丈夫ではないか」
という考え方だと読み取りました。
間違っていたら、申し訳ないです。
実をいうと、私もこの部分は一緒です。
違っているのは、「意味のない自粛はない」と私が思っているところ。
ここでいう”意味のある”というのは”効果のある”と言う事だと読み取りました。
なので、ここから先の”効果”という言葉を”意味”という言葉の代わりに使っていきます。
私の意見では、
「効果のない自粛はないので、後はどれを自粛するか、どの行動によるリスクをとるかを選ぼう」
と言うものです。
もっと具体的に言いましょう。
先生は、交通機関での移動や、オフィスでの活動を自粛することに効果はないとおっしゃいました。
つまり、この2つの行動による感染の危険性はない(または非常に低い)と考えておらえれるんですね。
しかし私は、それらにも効果はあると考えました。
この2つの行動にも、感染の危険性が発生すると考えたわけです。
その上で、どうせ感染の危険がある行動なのなら、人々にとって楽しい娯楽やレジャーを自粛対象とするのではなく、辛く苦しい満員電車での通勤や、テレワーク可能な作業をオフィスで行う事を、何とか努力して自粛しようと結論付けました。
(楽しい娯楽やレジャーについても、人が集まる行動について感染の危険性が発生するというのは、先生も私も同意見でした)

先生もちゃんとおっしゃっていますが、感染というのは、「接触」があれば論理的には発生する。問題はその確率です。

これも私の考えと全く一致です。
もし先生がこうはおっしゃっていないというのであれば、どなたでも結構ですのでご一報ください。
訂正した上で謝罪します。
一応ソースは”藤井聡京大教授「第二波に備え『8割自粛』を徹底検証すべし」【緊急反論③:自粛でなく水際対策の強化が感染を収束させた】”の真ん中あたりに太字で書かれた部分です。
ただ、私は、今までのデータから個別の接触形態について感染確率を出しても、誤差が大きいので意味は小さいのではないか、と考えました。
対して先生は、事細かに計算されたようです。
恐らく原著論文的なものを頑張って読めば、私も同じ結論になるのかもしれませんが。
敢えて、読まずに質問したいと思います。
(理由は入手ができないことと、それを読み解く自信がちょっとないから、です)

先生が個別の形態について考える時に、完全な切り分けは出来たのでしょうか?

場合分けといってもいいですね。高校数学で習うやつです。
ちなみに、ここからは反論ではなく、質問・疑問になります。
例えば、海外から人の流入を切り分けるために、4月以降のデータのみを使われているそうですが。
実際には、3月初めには自粛ムードが高まっていたと記憶しています。
しかも、その自粛はかなり強かったと感じます。
※科学的に考えるなら、数値が必要ですが、それを用意する方法を考え出せないので、そこはご了承下さい。
もし、この私の感覚が正しければ、この4月までの自粛による影響を切り捨ててしまうと、そこからの結論のエラーが大きくなると思いますが、どうでしょうか?

また私は、公共交通機関の利用自粛の影響を単独で評価するのは難しいと考えます。
なぜなら、公共交通機関の利用は、それ自体が目的ではなく、別の何かの目的のための付随手段だからです。
つまり、その”別の目的”を自粛した効果と、公共交通機関の利用を自粛した効果は切り分けられなくなると考えます。
更に、オフィスの利用による効果は、もっと難しいでしょう。
緊急事態宣言の発令が急だったので、その発令とテレワーク移行のタイミングはかなりずれていて、足並みも揃っていなかったと感じます。
※ここでも数値を出せなくて申し訳ありません。
あと、緊急事態宣言は4月初めに出ています。
4月以降のデータしか利用しない場合、テレワークしていない時のデータが圧倒的に不足するのではないでしょうか。
反対に、緊急事態宣言解除によるテレワーク終了はかなり足並みが揃っているかもしれませんので、そちらから類推する方法はあるかもしれません。
緊急事態宣言解除後の東京の感染に関するデータなど、参考になるのではないでしょうか?

さらに、いろいろと数値を挙げていらっしゃいましたが、私が欲しいと思っている「公共交通機関を自粛したときの感染拡大防止効果」と「オフィスに出勤しての仕事を自粛した場合の感染拡大防止効果」についての数値が見当たりませんでした。
その数値なしに、この2つの行動について、自粛の効果がない(または薄い)と断定するのはいかがかと考えます。
どこかに数字が出ていたのであれば申し訳ありません。
ただ、ほかの数字を私が見つけているのに、血眼になって探していたこの2つの数字が見つからなかったというのは、ちょっと不可思議です。
私の目が節穴なのかもしれませんが。(私はよく探し物が見つからないので、妻から”フッシー”=節穴の略 と呼ばれています)
ちなみに、娯楽系統の自粛効果と、公共交通機関の利用自粛の効果、オフィスでの仕事自粛の効果では、かなり大きく違ったのでしょうか?

こうしたことから、私は感染の危険性を個別に考えるのは危険(または意味が小さい)なので、いっそそれをやめてはどうかと提案します。

このように考えた末に、私は個々のケースにおける感染の危険性を計算するよりも、いっそ、
・人が集まる行為は等しく感染の危険が伴う。
としてしまえばいいのではないかと考えました。
そもそもデータが少なく、調査期間も短いので、個別のケースで感染の危険性を考えてもあまり意味がないと思えたからです。

では、何をもって、自粛すべき行動を決めるかという話になりますね。
ここでも、藤井先生が西浦先生を批判されるときによく言われている、
「経済的なダメージがどの程度か?」
を考えることに、私は大賛成です。
ただ、私の場合、それを考えた上で
「それをなくした時の影響(その人個人への影響もあれば、社会全体への影響もあります)」
を考えに入れてはどうか思うのです。

例えば、いわゆる夜の街ですが、私にとっては全く無意味です。(そもそも、私にそんな遊びのできるお金はない!)
でも、その楽しみのために頑張っている人、それが大きな生きがいになっている人、もいるのではないでしょうか。
さらに、それを生業にしている方々がいて、それに関連した職(例えば飲食物のおろしとか)に従事されてる方々もおられますよね。
そうした方々にとって、夜の街自粛は死活問題となります。
こういう、生きがいに関するものや死活問題になるものは自粛せず、やり方を見直して感染の危険性を下げていくべきと考えます。

対して、テレワーク可能な職種でありながら、オフィスに出勤する事は、死活問題にはならないでしょう。
逆に死活問題になるという事は、テレワークが不可能という事ですから。
また、それを生きがいにしている方々もいらっしゃるかもしれませんが。
そういう人々に引きずられて、そうでない人達までいやいや出勤することはないでしょう。感染のリスクを上げてまで。
生きがいにしている人だけ、勝手に出勤したらいいのですから。感染のリスクを背負いながらね。
(感染のリスクを背負いながら行動するという点で、夜の街関連の方々と全く変わらないということです)
また、テレワーク不可能な職種でも、時差をつけたり、フレックスを導入したり、時間短縮したりして、人の密集は避けられないでしょうか?
いろいろ考えるのは面倒でしょうけど、COVID-19に打ち勝つためです。
面倒くさがらず、頭をひねりましょうよ。
こうやって、一生懸命考えて、知恵を絞って、感染の危険性を下げることが大事ではないかと考えました。

西浦先生の罪は、経済に大ダメージを与えたこと。では、功はというと、我々に緊張感と真剣さを与えてくれたこと。
藤井先生の功は、COVID-19対策を考え直す契機を作ったこと。では、罪はというと、自粛を疎ましく思っていた方々に”恰好の言い訳”を提供した事。

実はどれもこれも科学ではないんですがね。
(でもって私が感じるに、罪としたものについては、お二人とも科学者としては罪といえないようなものなんですけど)
一つ一つ見ていきましょう。
西浦先生の提言により、あの時点で我々が真摯に状況に向き合い、COVID-19と真剣に戦おうという気持ちになれたのは、非常に大きかったと考えます。
その流れでの緊急事態宣言も効果があったと考えます。こういう精神論的な意味合いで。
ですので、今の時点で西浦先生を非難だけすることは間違いです。
でも、それにより日本社会が経済的に大きなダメージを受けてしまったことは、確かに罪といえるでしょう。
しかし、ここに藤井先生が現れて下さった。
そして、自粛自粛といつまでもこだわることなく、我々がこれからも生きていくために、ただ、”生きているというだけ”でなく、”いろいろな喜びとともに生きていく”ためにどうするか、という問いをしていただけたと思います。
それにより、もともと自粛一辺倒だった世論は、少しずつ冷静さを取り戻しているように感じます。
これは、次のステップに移るための、通過儀礼だったのかもしれません。
では、罪はというと、もともと緩みっぱなしで自粛を疎ましく思っていた方々に、格好の言い訳を作ってしまったこと。
例えるなら、WHOが”マスクは無意味”と言ったことと似ているでしょう。
実際、WHOのマスク不要論を振りかざして、マスクが必要と思われる場面でマスクをしない人とか。
”あの時の徹底した自粛には意味がなかった”という言葉の、都合のいい部分だけ抜き出して”自粛には意味がなかった”と主張して、感染拡大防止の行動に非協力的な態度を示す人などへの対応というのが、今後の重要なテーマになるかもしれません。
あと、こういう方々への正当な非難が、”○○警察”というような表現で貶められるのも、避けたい流れであるにもかかわらず、すでにそうなっているような気配がしますね。危険です。

とにかく、西浦先生から藤井先生への流れは、お二人が意図したものでないとしても、とても良い流れとなっていると思います。

ただ、何となくですが、皆の視線をある程度同一方向に向けるような、あと一手といいますか、誰かひとりといいますか、そんな要素が欲しいところです。
出来ればあまり間を置かずに。
それにしても、みんなの対立をあおったり、先生方の発言の一部だけを切り取って都合よく発信したり、ちょっと報道関係が足を引っ張っているような気がしますが、気のせいでしょうか?
実際、お二人の先生とも、真剣にCOVID-19のことを考えておられるところで一致しています。
私の持論、時間軸を含めて物事を考えるという立場でいえば、2先生の説をスムーズにつなげることで、COVID-19に対抗するための大きな力になるはずなんですがね。
報道関係では、なぜか、2先生の対立構造を作り上げて、楽しんでいるようにも見えます。

※科学の世界で意見が対立して、お互いに討論するのは普通のことです。
そういう意味で、藤井先生が西浦先生を、西浦先生が藤井先生を非難するというのは、自然なことです。
私の見る限り、2先生とも論理的に相手に反論しているように思いますし、多少感情的になったとしても、「にんげんだもの」で済まされる範囲と考えます。

ただ、藤井先生にあえてお伝えしたいことといいますと。
過去の事象を検証することは大事ですが、今はその時間がもったいない
ということです。
なので、緊急反論で過去を語るのもいいですが、できれば今だけはその能力を「明日を考えること」に使っていただきたい。
そういう意味で、早くK値で今の東京の状態を発表してください。
もちろん、緊急事態宣言解除と絡めるのが得策と考えます。
(関係があろうとなかろうと、重要なメッセージになり得ます)
そして、それをもとにして、次の一手を考えていっていただきたいです。
すみません、ちょっと人任せなことになりますが、私ごときではちょっと判断に自信がない部分がありまして。
情報が出てきたら、きっと、頑張って考えるとは思いますが。

あと、その結果があまり都合のよくないものだとしても、本当はそれはそれで発表してほしいですが。
世の中、都合の悪い結果が出ると、かさにきて変にたたく人が出て困るかもしれなくて、難しいところです。
(回りくどくて何を言っているかわからないかもしれませんが、”うるさいアンチがわくかもしれない”ということです)
下手に言わないほうが得策なんでしょうか?まだ、日本人は冷静にデータを見られないほどに動転しているのでしょうか?

理想では、政治家とかリーダーが、皆の視線を同じような方向に向けさせて、困難を乗り切るというのがいいんですけどね。

私が見る限り、一部の知事の方々を除き、茫然自失というか行動放棄の状態に陥っているような気がします。
気持ちはわかるんですがね、私も何が正解かなんてわかりませんし。
でも、それができる立場の人は、それができるだけの影響力のある人は、ある程度腹をくくって行動してほしいと思いますね。
(ある意味、私がこんな風に意見を述べるのは、影響力のないド素人なりに腹をくくっているとも言えますが)

さて、相変わらず長かったですが、今日はここまでにします。
次は、もしかしたら、数年越しの夢がかなったことなどをお伝えするかもしれません。
いつにもまして、♪マークが飛びまくるような記事に、なるといいなぁ。
それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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