エミール・クラウスとベルギーの印象派

昨日、スマート飯で大はしゃぎした私ですが、もうひとつ、こちらはしみじみと趣深いイベントがあったのです。
それが、姫路市立美術館で開催中の「エミール・クラウスとベルギーの印象派」展です。
印象派、代表としてはもちろんクロード・モネで、フランスが発祥の地ですね。
しかし、同時期にベルギーでは新印象主義と呼ばれる、点描法を特徴とした一派が活躍していたようです。
ポール・シニャックが代表的な人物として挙げられるのですが、実は彼らに大きな影響を与えた画家が、
エミール・クラウスなんだそうです。
実はこの方、wikiの日本語版にもないくらいにマイナーなんですね。
しかし、その絵は実にすばらしいものでした。
写真は忠実にその場面の景色(光といってもよいかもしれません)を記録します。
それにもかかわらず、すごく感動的な風景を写真に撮影して、後で見てみると”あれ?こんなんじゃなかったよなぁ”、ということ、多くありませんか?
いろいろと原因はありますが、私が思うに、人は目でものを見るのでなく、心で見るからだと思います。
心というとぼんやりしていますが、要するに、視神経が風景(光の集まりとでもいうのでしょうか)を感じ取ってから、記憶として整理されるまでに、様々な意識的・無意識的な加工がなされる、ということです。
錯覚・錯視という現象に代表されるような無意識的(むしろ生理的と言うのでしょうか)な加工。
その場の視覚以外の感覚・雰囲気のような感覚外のもの・記憶や経験という過去のデータなどとのリンク、のようなある意味で意識的な加工。
そういったものの総合的な結果として、私たちは感動するのではないでしょうか。
これは風景などの視覚的なものだけに言えるのではなく、音楽などの聴覚的なもの、その他いろいろな刺激に対して、同じような事がいえそうに思います。
さて、話を絵画に戻しましょう。
画家さんというのは、自分の頭の中にある記憶(記録)を絵として視覚的な表現をする方々だと思います。
そこで、皆さん、”どうやったら、この私の頭の中にある美しいものを表現できるだろう?”ということで悩まれるのでしょう。
その表現したいものも多種多様でしょうし、実体のないものをどうしても表現したいということもあったと思います。
例えば”奥行き”、例えば”動き”、例えば”光”。
そして、いろいろな表現法が出来てきた。
そんななかの、”光”を表現する方法のひとつが点描法だと思います。
この方法を使うことで、明るさを保ったまま混色が可能になるからです。
ただ、私の印象では点描法では”動き”が消えてしまうような気がします。
エミール・クラウスの素晴らしいところは、点描法を取り入れつつ、それだけにならなかった点だと思います。
点描法で光を表現しつつ、動きを表現したい所はそれにあった表現法を取り入れて、バランスを保っている、と感じます。
また、光を表現するために、影を強調しなければなりませんが、その影の部分もしっかりと描かれています。
むしろ、影の部分をしっかり描くことで、その裏にある光をより強く感じさせようとしたのでしょうか。
まあ芸術と言うのは、接した人によって感じ方はいろいろですので、まずは接して見られることをお勧めします。
姫路、ちょっとマイナーなところなので、なかなか訪れにくいとは思いますが。
ちなみにこの展覧会は5月26日までやっているそうです。
姫路市立美術館のホームページはこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です