「発見されたガリレオの手紙から新事実」 その2 Natureダイジェスト2018年12月号より

不思議大好きの、まんぼうです。
ほんとは、昨日の続きで、量子もつれの件を書きたかったんですけどね。
実験方法でいまいちすっきりしないところが出てきまして。
今週末(早くても金曜日)に、もう一度図書館に行ってきます。
(こんなことなら、いっそ買っておけばよかったかも・・・)
ということで、すでに下書きが出来ていたガリレオのネタになりました。

「発見されたガリレオの手紙から新事実」その2では、ガリレオが受けた2回の裁判のうちの、1回目について私が勉強したところをご紹介します。

ガリレオ第1回裁判 (1616年)周囲の状況と進行

ガリレオが受けた第1回裁判は1616年、今回見つかった友人宛ての手紙が出された3年前です。
どうやらこのころから、ガリレオは地動説を支持するようになったようです。
で、そのことで、ロリーニという修道会士と論争になり、このロリーニが検邪聖省(元 異端審問所)に、”ガリレオの唱えている地動説は異端だ!”と訴えたらしいです。
ただ、この地動説というのは、ご存知の通り、コペルニクスが1545年に「天体の回転について」で発表しています。
まあ、色々と問題はありましたけどね。
もっと言いますと、さらに昔のギリシャ時代にアリスタルコスが地動説を唱えてたりします。
まあ、主流にはならなかったんですけどね。
でも、このころの地動説に関する扱いの、最も激しいと思われる例が、”地動説を撤回しなかったジョルダーノが火あぶりになった”ということでしょう(1600年のことです)。
このあたり、色々な説があって、”キリスト教はそれほど地動説を弾圧しなかった”という説もあります。
でも、地動説を撤回しなかったことを理由に火あぶりになった人がいた、ということがすべてを物語っているように思いますね。
おっと、横道にそれました。
ロリーニに訴えられたガリレオは、ジョルダーノと同じように有罪になった、とされています。
この裁判では、
「”太陽が中心で、大地が動くという意見を放棄し、その意見を抱かず、教えず、弁護しないということを命じられた。さもなければ裁判にかける”という命令に対して、彼は同意し従うことを約束した」
と言う判決が出たとなっています。
ただね、現在ではこれ、偽装の疑いが強くなっているそうです。
なんのためにかは、第2回裁判をみるとわかるように思います。
(少なくとも私は納得しました)
で、第1回裁判の結果が偽造ではないかと疑われる理由を2つ書いておきます。

  1. 判決が出される少し前に、担当判事のベラルミーノが、ガリレオの友人に対して送った手紙によると、必ずしもガリレオの研究を否定していない。
  2. 判決文にガリレオの署名がなく、第2回裁判でガリレオがその判決分を見たことがないと言っている。

ということです。
ともあれ、この裁判の後、ガリレオはしばらく活動を控えます。

ガリレオ第1回裁判後の動き

この第1回裁判の後、どうやら教会の態度は硬化したように見えます。

  1. コペルニクスの地動説を禁ずる布告をだした。
  2. コペルニクスの著書「天体の回転について」を一時閲覧禁止にした。
    (のちに、”地動説は単に数学的な仮説である”という但し書きを付けたそうで、閲覧禁止自体は解かれたようですね)

そりゃあ、まあ、ガリレオも活動を控えて当然でしょう。
地動説は禁じられ、その書物は閲覧禁止になり、自分より前に地動説を唱えたことで火あぶりになった人がいた、ということですからね。
でも、のちに但し書き付きで「天体の回転について」の閲覧禁止が説かれた、これは私が思うに誘い水のようなものだったのではないでしょうか。しかも、意図的な。
まあ、この辺の感想や私の考えは後でまとめて書くとして、現実の流れは、ガリレオがまた地動説に関する活動を行って、第2回裁判が行われるのです。

ということで、今回はこれまで。
その3では第2回裁判と、その後のガリレオについてご紹介する予定です。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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