Discover 2022-11,12より。次世代の輸送 「全自動運転自動車」。

不思議大好きの、まんぼうです。

今回でDISCOVER 2022-11,12号の記事ネタは終わりです。
前回の「電気自動車」に続いて取り上げられたのが、全自動運転自動車。
結構前に出来上がっているはずのものですが、いまだに完成していないものですね。
空飛ぶ自動車と同じでしょうか。

ただ、こちらについては「空飛ぶ自動車」よりもずっと早く実現しそうですが。
それでは早速。

2022年に入って、全自動運転自動車がかなり現実味を帯びてきました。(アメリカで)

ロボタクシーや全自動運転トラックの導入が進んでいるようです。(アメリカで)

フェニックスという都市で、Waymoという会社が行っているWaymoというロボタクシーが走っています。
これは2020年の終わりごろに登場したものだそうで、すでに2年の実績があるんですね。
他にも2022年にはサンフランシスコで、違うロボタクシーが登場しているようです。

さらにタクシーではなくてトラックについて。
全自動運転トラックがアメリカのサンベルトと呼ばれる地域で導入が進んでいるようです。
全自動と言ってもドライバーは運転席にいるんですけどね。
普段はリラックスしていて、何か必要があるときに手動切り替えして運転する様です。

5~7年前の予想では、2020年には全自動運転技術が普及するはずだったのですが・・・

5~7年前というと、レーンを自動でキープする自動車が一般的に発売されたころだと記憶しています。
そのころには2020年には全自動運転が一般的になると予想されていた、確かにそんな記憶があります。

ところが、それはすぐに難しいということがわかりました。
というのも、技術的な面と価格的な面で、全自動運転自動車を市場に投入するのが思っていたより困難だということが分かったからだそうです。

確かに、私も「いやぁ、そんなに早くは無理なんじゃ?」と思った記憶がありますね。
ところが、思わぬところで強力な援軍が来てくれたようでして。

AIの急速な発展のおかげで、今後10年もたたずに全自動運転技術が浸透すると予想されています。

私も過去に記事にしましたが、AIの技術が急速に発展してきました。
(私の以前の記事では、「一般人レベルであれば、すぐにでも追い越す勢いで」発展しています。)
そのほかにも、コンピューティングや認知科学の面での発展も大きくプラスに働いたようですね。

前にも言いましたが、AIは死なないので、あることにかけた時間がそのまま経験となって蓄積します。
さらに、よそ事を考える必要がなく、眠る必要もないので、存在している時間がそのまま経験値となるんですね。
さらに、コピーも容易でしょうから(電子的な情報の集まりですから)、ひとたび強力なAIが出来上がったら、それをコピーして大量に作成できると考えられます。

ということで、10年以内に全自動運転技術が普及するだろうという予想は、納得できるものだと思います。

全自動運転のこれまでの歩みと現状

全自動運転に向けた取り組みはかなり以前から行われていました(1950~60年初頭)

1950年~1960年初頭というと、私の生まれる前からということになりますね。
ただ、そのころの試みは、オートクルーズだと思われます。
これは、あるスピードでオートクルーズをセットすると、アクセルを踏まなくてもそのスピードを維持するというものだったと記憶しています。
たしか、ハンドルの横についているつまみをひねることで微加速・微減速ができたと思います。

この辺だと、自動運転というより運転支援機能ですね。
実はその通りで、このころの(というか既存の)自動車メーカーの全自動運転に対するアプローチというのは、

運転支援機能を発展させて、最終的に全自動運転にする

というものなんだそうです。

こうした段階的な取り組みの指標として、全自動運転までを6段階(0~5)に分けています

こうした取り組みの指標として、全自動運転までのステップを6に分けています。

最初の第0段階はもちろん「完全手動」。
最終の第5段階が「完全自動」。現状では市場の自動車はほぼ、第2段階をクリアしていて、いくつかの国で第3段階の製品が見られるようです。

実は第2段階と第3段階の間には、かなり大きな壁があります。
技術的にもですが、おそらく法律や大衆心理という面で。

第2段階と第3段階の間の壁は、ドライバーが運転に集中している必要があるかどうか?

第2段階までにおいては、ドライバーは運転に集中している必要があります。
たとえ操作の必要がないような場面であっても、ドライバーの集中が切れているという状態を検知すれば、運転を取りやめるような安全装置がついているようです。

例えば、自動運転中で、スピードもレーン(走る位置)も自動で調整してうまくいっているとします。
しかし、ドライバーの状態を観測して、居眠りをしているという兆候が見えたら。
システムは警告を発すると同時に、安全に自動車を停止させるような機能が必要なんだそうです。

しかし、第3段階はそういう必要はありません。
ドライバーは完全によそ事を考えていてもよいのです。
ただし、ドライバーが必要と判断した場合に操縦を手動に切り替えられるように、操縦系統の装置(ハンドルやアクセルやブレーキですね)はついているという感じです。

従来の自動車メーカーが段階を追って自動運転を目指しているのに対して、新規参入の企業は一足飛びの第4段階を目指いしている

従来の自動車メーカーが段階を踏んで、今第3段階をクリアしようとしています。
それに対して新規参入の企業は、一足飛びに第4段階を目指しているようです。
冒頭に出てきたWaymoなどはその例でしょう。

しかし考えてみれば、それは当然のことですね。
今更第3段階の自動車を出してみたところで、新規性は全くありません。
つまり、その部分で消費者にアピールすることは、は全く期待できないということ。
であれば、次の段階である第4段階からの参入を目指していくのが当然ですね。

では、この第4段階というのはどういうものか?というと

第4段階では、自動運転機能によってほとんどの操作が行われる(つまり限定的な状態で手動に切り替える必要あり)

第4段階において、ほとんどドライバーがすることはありません。
当然運転(というか状況)に集中する必要もなく。
ほとんどの場面で自動運転機能が対応してくれます。

ただ、非常にまれなケースで、手動に切り替えて運転する可能性があります。
具体的にはなかったのですが、極度な悪天候や想定外の交通状況(事故発生直後の車線規制状態とかでしょうか?)が該当する様です。

そして最終の第5段階では、あらゆる状況において自動運転機能に操作を任せられるということですね。

第5段階に向けた取り組みと、そこに至る課題

第5段階に向けたテストが行われつつあります。

2022年の夏からWaymoのテストが1段階進んだようです。
というのも、テストのステージがフェニックスという都市から、サンフランシスコに移ってきたから。

フェニックスという都市は、砂漠のど真ん中にあります。
なのでおそらく、大都会ほどの混雑した状況や複雑な道路事情はないでしょう。
きっと計画的に道路も作られているので、人間にとってもAIにとっても、走りやすい街なんだと思います。

それに対してサンフランシスコは、交通事情としては”カオス”と表現してよいでしょう。
本文中にも「歩行者、自転車、ケーブルカー(路面電車のようなもののようですね)が行き交い、道路の交差状況も複雑な物」という表現がありました。
おそらく、人間でも慣れていなければひやひやしながらの運転となるでしょう。

で、そういうところを実際に自動運転自動車を通すのかというと、そういうわけでもなさそうですね。

シミュレーションとして、仮想的に自動運転自動車を通行させるようです

まあ、真夜中に運転させたりするという記述もありましたが。
メインは仮想的にサンフランシスコの町中を自動運転自動車に走らせるということのようですね。

この手法のいいところは

  1. 事故が実際に起きない
  2. 計算上(シミュレーション)なので、時間を加速させられる

というのがあげられます。

1は当然として。
2については、それこそ何百年分のケースをシミュレートできるはずです。
ということは、その間に起こる様々なケースについて検討したり対策をとったりできるということですね。

そうして出来上がった、非常に信頼性の高いはずの自動運転機能(AI)。
ですが、そこに立ちはだかる、高い高いハードルがあります。
それは・・・

絶対に事故が起こらない、わけではないので

当たり前ですが、絶対に事故が起こらないわけではありません。
同じ状況で同じ行動をとっても、事故になる場合とならない場合が出てくるでしょう。
その場合、事故になる確率が小さい行動をとることになります。

しかし、本質的にどのような行動をとっても、事故を完全に防ぐことはできないと思われます。
事故を起こすかもしれない全自動運転機能、そしてそれによって操作されている自動車。
それが身近に走っていることを、”我々人間が”許容できるかどうか?

現時点で運転支援装置を使用しているときに事故を起こすケースが、当然あります

現在も運転支援機能を使用しているときに起こってしまった事故というのはあります。
それについては調査機関ができていて、原因を詳しく調査しているようです。
これは、生身の人間が事故を起こした時を同じ。
ただ、その報道のされ方とか、我々生身の人間の反応の仕方が違うようです。

まず、報道のされ方ですが。
自動運転(というか運転支援機能作動状態)での事故というのは、件数としてそこまで多くはないようです。
実数を上げるのは控えますが(というのも、DISICOVERという雑誌だけをソースとするのはちょっと気が引けるからです)。
重篤な(死亡事故など)ものに限らない場合に、年間数百件というところ。
それに対してアメリカにおける年間の交通事故死亡者は数万件。
しかし、自動運転中の事故ということで大きく取り上げられる傾向があるようですね。

さらに、それに対する我々(というかアメリカの一般人)の反応は、非常に感傷的。
つまり、つっこんで言うなら、おそらく被害者に過度な同情をしている状態なんでしょう。
何か自動運転中の事故が報道されると、その事故に対する否定的なツイートがtwitterで見られたという研究結果もあります。
普通に考えて、年間数万件の死亡事故すべてに感傷的になっていたんじゃ体が持たないですから。
そのあたり、我々が選択的に自動運転中の事故をたたいているのでしょう。

つまり、我々の”感情”が自動運転技術の普及に対する最大のハードルになっている

これについては、この後に書く「私の感想」に詳しく書くとして。
我々人間は、とかく矛盾した感情を持っています。

数万件の交通死亡事故についてはスルーするのに。
数百件の(軽微なもの含む)自動運転中の事故には過敏に反応するとか。

いったん事故が起こると大惨事になるけれど自分とは関係ないと思えるものは、リスクを取ってでも恩恵を受けるべきと言いながら。
身近に感じる小さなリスクは何としてもなくすべきだと主張してみたり。

軽微なリスクなら社会全体のことを考えてとるべきだという人に対して。
「お前の身内がそういう目に合っても、そんなことが言えるのか!!」と恫喝してみたり。

まあ、それらの気持ちがわからないわけではないのですが、なんともね。

ということで、次回はこのあたりも含めての感想を書きます。
ただ、その流れで、「自動運転技術は浸透せざるを得ず、そうなるといろいろと困る人も出てくる」という話もしていくでしょう。
まあ、それはその時にということで。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

 

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