ベイズ統計 その1 ニュートン 2020年9月号より

※題名で「ベイズ推定 ・・・」としていましたが、ニュートンの方で「ベイズ統計超入門」となっていましたので、「ベイズ統計 ・・・と修正しました。内容的には変わっていません。 2020.9.6
不思議大好きの、まんぼうです。
ニュートンの先月号を読んで、ベイズ推定を書こうと思って、はや2週間ほど。
(予告は、メインブログのこちらで行いました)
なんとか1報でまとまらないかとも思ったのですが、結局3本立てで以降となりました。
ということで、今回はその1です。
早速お送りしていきましょう。

確率の世界では、頻度主義とベイズ主義が対立していた。

ニュートン2020年9月号(ここからはお題の本、と略します)では、二つの主義が対立というよりも、ベイズ主義が異端とされていたと書かれてますね。
私が理解した限りで、二つの違いを書きますと、
頻度主義・・・ある事柄を繰り返した時に目的の現象が起こる頻度を確率とする。
ベイズ主義・・・目的の事象が起こる条件を洗い出し、その起こりやすさを設定した上で計算される目的の事象の起こりやすさを確率とする。
いやぁ、自分で書いてて、ベイズ主義の方の分かりにくいこと、甚だしいですね。
それに比べて、頻度主義のなんとシンプルで分かりやすいこと。
そこな私なりに、ちょっとした例を考えてみましょう。

サイコロを振って一の目が出る確率を考えましょう。

まず簡単に、頻度主義で。
・・・1/6ですね。
例え、今まで一の目が10回連続で出ていたとしても、次にサイコロを振って1の目が出る確率は、1/6です。
ただ、書いてはいませんが、ここではある仮定をしています。
それは、
「サイコロを無限回振った時に、すべての目の出る確率は同じである」
というもの。
つまり、使ってるサイコロは、まともなサイコロ、ということですね。
ここでベイズ主義で同じ事をやってみましょう。
ベイズ主義では、今までに10回連続で1の目が出ていた事に着目します。
「もしかして、このサイコロ、いかさまサイコロなんじゃ?」
ってね。
で考えます。
「10回連続して1の目が出る確率が50%を超えるとしたら、”このサイコロ”で1の目が出る確率はどのくらいだろう」
と。
この計算、私はどうすればいいかわからないので、どなたか専門の方に譲りますが、おそらく1/6を超えてきます。
この確率こそが、次にサイコロを振ったときの1の目が出る確率になります。

それでは私なりの理解で、頻度主義とベイズ主義を解説してみましょう。

頻度主義は、

「この世は絶対普遍の原理で構築されている。
だから、その原理を試行により読み取り、それを使って確率を計算する。」

というものだと思います。

ベイズ主義は、

「絶対普遍の原理があるかどうかはさておき、今起こっている事象からその基になるものを推測できる。
よって、今わかっていることから、最も確からしい「起こりやすさ」を推定して、それをもとに確率を計算する。」

ということと考えました。

頻度主義においては、絶対普遍の原理は

  • 論理的に導かれた結論
  • 非常に多数の試行結果からの計算

から導かれます。
よって、多少の事では変更されません。
なので、前の例で10回連続で1の目が出たくらいでは、次の1の目の出る確率は変わらないわけです。

たいして、ベイズ主義では、絶対普遍の原理は考えません。
今起こっていることから、確からしさを”自分で考えて”設定します。
なので、

  • 今起こっていることを”観測した結果”が、確率に関係する。
  • 試行を繰り返すことにより、確率が変化する。

ということが起こります。

ベイズ主義が批判されていた理由がこのあたりにあります。

言うまでもなく、頻度主義が昔からあって、ベイズ主義が出てきたわけですが。
出てきた時から異端として批判され続けてきた様ですね。
20世紀に入って、ようやく見直されてきた様ですが。

ここからはちょっと想像ですけど、もしかすると20世紀に入ってから、頻度主義は古臭いとか言って、逆に批判される状態が出てきたのかなと。
それにより、2つの主義が対立する様になったと。
で、何よりベイズ主義が受け入れられにくかったのが、「観測により確率が変動する」というところ。
っと、なんとなくデジャブーって気がしませんか?

観測が結果に影響する。量子論に似てませんか?

観測が結果に影響する。
これって、量子論に似てませんか?
で、量子論も同じ様に、批判された歴史がありますよね。
例の

「シュレディンガーの猫」

です。
箱を開けて観測する前は、生きている猫と死んでいる猫が、雲の様に両者存在の状態で。
蓋を開けて観測した瞬間に、生きているか死んでいるかのどちらかに、瞬間的に決まる。
私自身、未だにどう折り合っていいのかわからない、そんなパラドクスです。
専門の物理学者がどう考えているかは分かりませんが、私にできるのは、

どう考えてもいいが、実際に実験した結果は、箱に入った「シュレディンガーの猫」を認めざるを得ない。

として議論を進めることだけです。

頻度主義とベイズ主義の関係と、量子論とそれ以外の論の関係で、違うのは「どっちもありか、どっちかが間違いか」

量子論とそれ以外の論では、どっちかが間違っているんです。
もっと早くいうと、量子論が合ってるか、間違っているかなんです。
今のところ、量子論が間違っているという実験結果が出てないので、合ってるとして議論を進めています。

この辺の、「正しい事の証明」は難しいんですよね。
間違っている事の証明は、反例を一つ挙げればいいだけなんですけど。
合っていることは、いくつもの確認で、間違って無い事を示し続けるしかないわけで。

話を元に戻しましょう。
頻度主義とベイズ主義は、どちらも合っていて大丈夫です。
むしろ、どちらも間違っていてもいいんです。

つまり、ある事象を、どちらの考え方で読みといてもいいんです。
というより、この二つ以外の何かいい方法があるなら、それを使っても構わない。
必要なのは、結果を予想する事なので。
結果によって、どちらの方法が適切だったかがわかるわけですね。

先ほどのサイコロの話。
問題のサイコロをその後たくさん振って、まともなサイコロかどうかを確認すれば、頻度主義の結果とベイズ主義の結果は近くなるでしょう。
ただ、現実はそういうわけにいかないことも多くて。
だからこそ、ベイズ主義ってものが出てきたわけですが。

ということで、今回はここまで。
次回からは、ニュートンのネタと、私独自の解釈をミックスさせながらお送りします。
それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

次の記事:ベイズ統計 その2 ニュートン2020年9月号より

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