ルネサンスとは何だったのか? その13 まとめ前編-ルネサンスへの道

不思議大好きの、まんぼうです。
めっきり寒くなってきて、夕方のウォーキングに長袖のシャツ必須になりました。
じきに、パーカーがいるようになるのでしょうね。
それはさておき。

ここからは、今までに見てきた様々な事を振り返りつつ、中世からルネサンス を経て近代へと移っていくのかをみていきます。
一応、時代の流れを大まかに見ると、中世、ルネサンス、近世、近代なんですが、ルネサンスは中世後期と近世の両方に含まれるという、かなり特別な時代になります。
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始まりは十字軍

第一回十字軍は1096年から1099年です。
これは丁度中世盛期が始まったころとなります。
これで何が起こったかというと、ヨーロッパから消え去ってイスラム世界で保存されていた、ギリシアローマの色々な遺産が、ヨーロッパに再輸入されました。
この遺産がヨーロッパから抹消されてしまっていた理由は、言うまでもなくキリスト教です。
この辺りは、本筋とはあまり関係ないのでさらりと流すとして、重要なのは再輸入されたものたちですね。
美術、神話、ギリシア哲学などなど、その頃のヨーロッパ世界では考えられない位に、自由で生き生きしていた事でしょう。
こう書くと、そんなに中世は暗黒じゃない、と抗議が来そうですが、色々調べた結果、それなりに暗黒だったことがわかりました。
何はともあれ、そのキラキラした物は、少しずつ人々に影響を及ぼしていきます。

いち早く変化したのは、お金のかからない文学においてでした。

それは、”個”の発現としてあらわれました。
”個”というのは、それまでのキリスト教世界では、否定またはそこまででは無くても、軽視または無視された概念です。
その世界では、ある物が絶対に正しく、それ以外は異端として弾圧または棄却されました。
しかし、新しく入ってきた情報によると、そうではなく”それぞれが違うことを認めつつ、全体として調和を持っていく”という社会もあったのだということがわかりました。
そりゃ、後者が良いに決まっている、と思います。
(といいたいのですが、現在の社会を見ていると必ずしもそうとは言い切れない部分も・・・)
こういった流れは、ダンテの「神曲」(13~14世紀)に、色濃く見られます。
キリスト教と違った世界観のギリシャ・ローマ神話に対して、否定・排除するのではなく、今の(つまりキリスト教的な)考え方で受け入れてみる、というようにです。

ついに”小説”という形で、1つ目のキーワード”個”はゆるぎなきものとなります。

さらに、この十字軍は”騎士道物語”という文化を作り上げていきます。
最初はご存知のアーサー王伝説あたりからなんですが、十字軍の影響で騎士の重要性がクローズアップされたのでしょうか、騎士を主人公とした娯楽性の高い物語が次々と生まれていくんですね。
そして、そのアンチテーゼにも見える「ドン・キホーテ」が生まれるんです。
この作品には、作者の”思い”や”主張”が盛り込まれている事で、それまでの”物語”とは一線を画す”小説”という形態をとりました。
こうした流れで、人々の文字を読む力が鍛えられ、知識に対する欲望という、本来人が持っていた特性が解き放たれていきます。

十字軍は一方でイタリア北部における富の蓄積ももたらします。

十字軍は繰り返し行われるのですが、この間兵站物資の集積拠点として、イタリア北部が栄えていきます。
こうして、イタリア北部に富が蓄積されていき、これまでとは規模の違う巨万の富を持つものが現れました。
最も有名なのは、メディチ家ですね。
彼らがスポンサーとなり、イタリア北部での芸術的活動が活発になっていきました。
このころ主流となったのは美術です。
ルネサンス3大巨匠、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ・ヴオナローティ、ラファエロ・サンティらが活躍したのがこのころです。
だいたい15世紀頃のことですね。
実は、この前に起こったもう一つの大きな事件として、東ローマ帝国の滅亡(コンスタンティノープルの陥落)があります。
これにより、東ローマ帝国にあったギリシャ時代の文献が、その学者たちとともに西ローマに逃げてきたんですね。
前の十字軍の時の何倍も衝撃があったことでしょう。
なにせ、ギリシャ・ローマ時代の知識が、人と物という形で一気に大量にやってきたわけですからね。
とりあえず、とっても本物っぽい絵画や彫刻というものがとっても新鮮だったことでしょう。
そしてここでも、おそらく人間の本来持っているものである”リアルが一番”という感性が花開いていったんでしょうね。
なんせ、ラスコーの壁画時代から、人はリアルに自然を描写することを欲していたようですから。
そして、より”リアルである”事を追求する、その姿勢は、やがて実物に実際にふれてそれを観察しようという動きに発展したことでしょう。
その動きは美術以外にも波及していき、自然現象を対象としてとらえていったことでしょう。
その過程で、
”今まで疑うことを禁じられてきた”真実”は、果たして本当のことなんだろうか?”
という気持ちになっていったと考えます。
そこから、”自然をありのままに観察し、それを検証して仮説を立て、その仮説を立証していく”という、科学的な取り組みに発展したと考えます。

今までに触れていなかった、もう一つの科学への道 錬金術

この項を書き始めて一つ忘れていたことに気づきました。
それは、錬金術。
ご存知の通り、金を作ることを目的としたこの学問は、やはり十字軍の時代にヨーロッパにもたらされます。
もちろん、”この世のすべては神が作った”という主張であるキリスト教にとっては、邪法になりますね。
でももちろん、金の誘惑には勝てず、錬金術師たちはお金持ちに保護されるなどして生き延びます。
それどころか、結構発展していったようですね、実際。
ちなみに、錬金術の目的は、金を作ることではなく”賢者の石”を作ること。
さらに少しだけ突っ込むと、賢者の石を作ることは、この世の真理をしる事、ということのようですね。
何はともあれ、錬金術は物体に様々な操作をしてその性質を変化させるということをする学問でした。
その理論は、今ではその多くが間違っているとは言うものの、何をどうすれば何ができた、というところはあっているものも多いようで。
実は、この”操作”というものが重要で、これが化学の基礎となっていきます。
例えば、「ワインをある温度に熱して出てきた物を冷やすことでおいしいブランデーができる」というある種錬金術的な現象も、現在風の用語を使うと「ワインをある温度で蒸留するとブランデーになる」と言い換えられて、一気に化学的になります。
実際にワインをブランデーにしたのは錬金術師だった、という説もあるようですね。
何より重要なのは、こちら側からも”本当のことは何だろう?”という探索が行われていたということ。

今回はここまでとします。
ルネサンスを見つめてきたこのシリーズですが、その終わりはルネサンスのもう少しあとにしてみます。
そうですね、ガリレオの裁判あたりまででしょうかね。
とにかく、次回最終回をお楽しみに。
それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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