ルネサンスとは何だったのか? その12 なぜ科学は生き延びることができたのか

不思議大好きの、まんぼうです。
今週も3連休を満喫しました。
5kmのウォーキングとか、・・あれ?大したことしてないなぁ。
まあ、ちょっと痛めていた腰をいたわったりとか、お風呂とトイレの掃除をしたりとか、革靴を磨いたりとか、そういうちょっとした気分転換はしっかりできましたけどね。
それはさておき。

今回は次回の予告通りフィナーレ、と行きたかったのですが、都合上あと2回以上になりそうです。
ただ、テーマは予告通り、「ルネサンス期に誕生した科学の萌芽が、なぜ消されることなく発展できたのか?」になります。
それではさっそく見ていきましょう。

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時の権力者集団は、とかく都合の悪い情報の抹消を考えるものです。

実は、ルネサンス期には科学が主人公ではなかったのです。
むしろ、人文科学と呼ばれるものこそが、ルネサンスの中心となっていました。
なので、ちょっと幅を広げて、科学に限らず”時の権力者集団にとって都合の悪い情報”がどのような扱いを受けたのかを見ていきましょう。
さて、中世以前においても、色々とルネサンスに近い活動が行われていたことは、以前にも書いています。
ルネサンスとは何だったのか? その5 ルネサンス前のルネサンス
しかしそれは大きく発展することなく、しぼんでしまいました。
その理由の一つが、”抵抗勢力が力を持っていた”ということです。
平たく言うと、”それをされると自分たちの権威が失われる”などの被害を被る集団が、力を持っていたということですね。
そしてその力により、都合の悪い動きを封じ込めてしまっていたんです。
ではその方法とは?

焚書と弾圧(処刑)による情報統制。

中世以前における情報の伝達・伝播について考えてみましょう。
そのころの情報伝達は、ほとんど口伝で行われていました。
ということは、その情報を伝える人間自身を抹殺してしまえば、容易に情報の伝播を阻止できます。
まさに、「死人に口なし」ですね。
ということで、都合の悪いことを言っている人間を抹殺します。
ただ、そのころ一応文書という形態も存在しました。
ただ、そのころの文書は完全な”手書き”ですので、複製は筆写しか方法がありませんでした。
つまり、複製を大量に作ることは不可能だったのです。
さらに、一般人はほとんどじを書いたり読んだりできませんでしたので、書物で残った情報が素早く伝わることは、あまりなかったわけです。
なので、都合の悪いことが書いてある書物を、その情報が広まってしまう前に、片っ端から焼き捨てることも、ある程度簡単だったんですね。
こういった情報操作・思想統一の例としては、古代中国で行われた”焚書坑儒”というものがあります。
なんにせよ、中世以前において”都合の悪い情報を消し去る”ということはそれほど難しくはなくて、
1.都合の悪い情報を発信する人間を消す。
2.都合の悪い情報が書かれている書物を消す。
で十分だったのです。
(もちろん、それを徹底させられるだけの権力がないとだめですけどね)
そして、都合の悪い情報さえ消し去ることができれば、自然とそれに関する都合の悪い活動もしぼんでいくわけですね。
でも、時代は変わっていきます。

文字による情報の一般化が始まった。

中世のころに、少し状況が変わってきました。
文字による情報の伝達・伝播が広まりだしたのです。
この原因は、一般人の識字率(といっても母国語の、ですが)が高まってきたことにあります。
これは、このころから小説が登場することや、その前から騎士道物語が存在していた事でも分かります。
私が考えるに、これはもう一つの効果を持っていて、識字率の上昇よって一般人の知識欲が上昇したと考えられます。
こうなってくると、1.の死人に口なし作戦を実行しても、その前に書物を残されてしまうと、それなりに情報が広まってしまう。
いくら筆写が非効率的といっても、多くの人間が束になって作業すれば、それなりの数ができてしまいますからね。
そこで次の1手を付け加えました。
3.都合の悪い情報を書いた書物を持つことを禁止する。
(禁を破れば、最悪処刑)
キリスト教において、1.の手法は”宗教裁判”で既に実行されていたのですが、ここで2.と3.にまとめて対処する”禁書指定”というのをするわけです。
持ってるだけで罪になるのですから、そりゃ広がらなくなりますよね。
ということで、1.~3.を徹底的に行うことで、都合の悪い情報の封じ込めを狙ったわけです。
ところか、ここに風穴をあけたものがありました。

グーテンベルグの活版印刷 登場。(1450年ごろ)

ご存知、ルネサンス3大発明のうちの1つです。
ちなみに、残りの2つは火薬と羅針盤です。
この技術がどのような影響を与えたかといいますと、”大量に書物を作成できた”ということにつきます。
というか、活版印刷はそのための技術ですからね。
これにより、1.と2.による情報の封じ込めは、ほぼその効力を失います。
3.についても、どこか権力が及ばない遠くで大量に作ってしまえば、もはや持っている人間をすべて始末する事は事実上不可能となります。(対象が多くなりすぎて)
それでも、最後のあがきを行うのですが、それが
4.都合の悪い情報を、”信じる事”すら禁止する。
(もちろん、禁を破れば、最悪処刑です)
でした。
1.と同じように思えますが、実は結構違っていると考えます。
それは、密告などを使って、徹底的な思想の弾圧を加えたということですね。
いわゆる、魔女狩り裁判や後期の宗教裁判などがこれにあたると考えます。
とにかく相互監視させて、密告させて、徹底的に芽をつぶして、根絶やしにする事を目指したのでしょう。
でもね、ここまで来てしまうと、すでに手遅れだったんでしょうね。

圧倒的な物量(書物量)によって、情報の駆逐は不可能になった。

まあ、戦争したり、目立った奴を宗教裁判で屈服させたり、色々したんですけどね。
結局、やればやるほど”それっておかしいよね”って思われるようになったんでしょう。
事ここに至って、人々は次の中から自らの道を選択する必要があったのだと思います。
A. 都合の悪い情報を認め、自らを変化させて対応する。
B. 都合の悪い情報と今までの生き方に矛盾を感じつつ、今までの生き方を変えない。
C. あくまで都合の悪い情報を認めず、世間から乖離しながら生きていく。
色々な人が色々な選択をしたと思いますが、一例としてガリレオさんを挙げておきましょう。
ガリレオさんは敬虔なカトリック教徒でしたので、おそらくB.を選択したと考えられます。
一応、A.はプロテスタントの方々と考えます。
この後長らく、A.とB.の間で血みどろの争いが繰り広げられるのですが、まあ、それは別の話。

つまり科学(およびその他の変化)は、活版印刷という技術によって守られた。

よく、”卵が先か?鶏が先か?”なんて言いますが、ここはあえて、
科学の前に技術があった。
と言っておきましょう。
技術によりようやく生まれた科学の萌芽は守られ、そして科学の新たな展開がもたらされていったのです。
とはいえ、現在の技術に科学的手法や科学的理論は不可欠なわけでして。
こうなると、技術の前に科学あり、とも言えたりして。
この辺り、次の議題にもってこいかと思っています。
(あまり長くはしないつもりですが)

さて、今回はここでおしまい。
次から2回にわたって総集編として、まんぼうなりの結論をお届けします。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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