ルネサンス その9に関する補足・訂正のために 天動説と聖書

不思議大好きの、まんぼうです。

さて、前回のその11で、”前のページで紛らわしいところがある”といいましたが、それは、その9です。
その訂正を兼ねて、今回は天動説と聖書について考えていきましょう。
対象となるページ:ルネサンスとは何だったのか? その9 神学と科学その違いについて

聖書には天動説は書かれていない?

はい、書かれていません、そのものずばりは。
ただ、天動説でないと都合が悪い、地動説だと不都合なことが書かれています。
このことはわかってはいたのですが、それを話すとややこしくなると思って、
”聖書に書かれているように、すべてのものは宇宙の中心である地球を中心に回っていなければならなかったのです。 ”
と書きました。
この辺り、微妙なところを少し詳しく見ていきましょう。

問題となるのは、ヨシュア記10章で、ヨシュアが行った”太陽と月を止めた”奇跡

かなり端折りますが、この部分でヨシュアが祈ることで”太陽と月が止まった”ということが書かれています。
これと天動説・地動説がどう関係するのか?
今の我々であれば、「ああ、地球の自転を止めたんだね。そりゃまた大変なことを起こしたもんだ」と考えます、地動説に基づいて。
え?これのどこが地動説かって?
だって、地球が自転している=地球が動いている、ですから。
でもね、聖書の言葉が真実とするならば、止まったのは地球ではなく太陽と月、なのでそれまで動いていたのも太陽と月、なんです。
太陽と月が動いていると考えると、もはや天空の星々も動いていると考えざるを得なくなり、地球は止まっていなければならなくなる。
つまり、天動説ですね。

でも、同じキリスト教を信じる人々の中から、ちょっと違う考えをする人が出てきました。

でもね、実際に木星を中心に回っている物体が見えてしまったんです。
こうなると、もしかしたら、地球が動いているんじゃないかって考える人たちも出てきますよね。
しかも、神様は信じていたい、当然のことです。
なので、そういう人たちはこう考えました。
「別に聖書の言葉一つ一つが絶対に正しいという必要はないのでは?」
「むしろ、聖書は人々が理解しやすくするために、あえて”分かりやすくするための嘘”(仏教ではこういうのを”方便”といいます)が書いてあるんでは?」
ってね。
こういう人たちは、当時の権威である教会などを離れて、独自に聖書に向き合うようになりました。
こうした人たちがのちに、宗教改革を起こしていくのですが、それはまた別の話。

ということで、聖書は天動説という嘘を書いている、というのは違います。が・・・

確かに、聖書には文字通りの天動説というものは書いていません。
ただ、天動説でないと都合の悪い奇跡が書いてあるだけです。
しかし、天動説は間違っていて地動説が正しいという証拠が挙がってきました。
その時に当時の宗教的権威をもった団体はこう考えたのでしょう。
1.「神の代弁者たる我々の間違いを認めるわけにはいかない。それは神が間違っていたというに等しいから」
と。
私はこれについて次のように書いています。
2.「神は間違えることができません」
と。
若干ニュアンスは違いますよね。
でも、おそらくキリスト教の神様を信じる人にとっては大きく違ったことでしょう。
1.においては、神様が間違っていることにはなりませんが、2.の場合神様がさも間違っていたかのような印象を受けてしまいます。
もう一度言いますが、間違っていたのは人間たちのほうで、神様ではありません。
お気を悪くした方もおられるでしょうから、お詫びします。
なお、その9はそのままとし、上記の紛らわしいところで説明を加えたうえで、本ページへのリンクを張ることとします。

ということで、今回はここまで。
いやぁ、できるだけ正確に、紛らわしくないようにと気は付けているのですが、やってしまうことはあるものです。
十分に反省して次につなげることにいたします。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です