ルネサンスとは何だったのか? その5 ルネサンスの前のルネサンス

不思議大好きの、まんぼうです。
前回の最後で、ルネサンスはそれ以前とどのように違うかについて注目するということを言っていました。
が、その前にご紹介しておかないといけないことがあるんですよ。

注意:ここから先に”イタリア ルネサンス”という言葉が出てきます。
これは、他の時代のルネサンスと区別しやすくするために、一般的に言われるイタリア北部での”ルネサンス”について、このブログの中限定で決めた呼び方です。
もしかすると、そういう表現があるのかもしれませんし、まったくないのかもしれません。
そういう訳ですので、「”イタリア ルネサンス”という言葉は、存在しない!」というクレームはしないでください。
もう一度言いますと、この言葉は、私が個人的に、このブログで勝手に決めた言葉です。
(念のため、本文でも同じようなことを言っています。)

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実は、複数のルネサンスがある!?

そうなんです、ルネサンスは一つだけじゃないんです。
一般的に”ルネサンス”と行った場合は、イタリア北方で起こった15~17世紀のことを指します。
私のブログではわかりやすく”イタリア ルネサンス”と呼ぶことにします。
(注:イタリア ルネサンスという言葉があるわけではないです。
いや、もしかしたらあるのかもしれませんが。
ここではあくまで、わかりやすくするために使う言葉とだけ考えてください。
日常の場面で使うと、間違っていると指摘される可能性が非常に高いのでご注意ください)
実はその前後に、”12世紀ルネサンス”と”北方ルネサンス”があります。
なのでまず、12世紀ルネサンスについて見てみましょう。
(北方ルネサンスは、イタリア ルネサンスの後にお話しします)

12世紀ルネサンス

場所は西ヨーロッパ各地のようで、もっと早い時期に起こったものです。
きっかけは、いまいちはっきりしません。
ただ、このころに起こっていた大きな出来事というのに、十字軍があります。
なので、その影響は大きかったのかなと考えます。
あと、イベリア半島で8~15世紀まで続いたレコンキスタという領土拡張(というより、領土回復)運動の影響も大きかったようです。
補足しますと、十字軍もレコンキスタも、キリスト教勢力がイスラム勢力に対して行った侵攻です。
十字軍とレコンキスタをまとめて、ここでは「キリスト教圏回復運動」と名付けることにします。
注意:この言葉も、このブログの中だけの言葉です。
しかも、この言葉はおそらくほかの場所では全く通じません。
くれぐれもご注意ください。

12世紀ルネサンスで起こったことと、その原因の考察

ところで、この12世紀ルネサンスですが、次のようなことが起こりました。
1.ギリシャ時代の書物の翻訳(ギリシャ、アラビア語からラテン語に)
2.大学の設置
3.ロマネスク美術(読んで字のごとくローマ風の美術)、さらにゴシック美術への発展
4.騎士道物語の隆盛、教会音楽の発展
私が考えますに、これらのうち少なくとも1~3はキリスト教圏回復運動の影響があったのではないかと思います。
ギリシャ時代の哲学など知的財産は、すでに当時の西ヨーロッパでは絶滅していて、東ローマ帝国やイスラム世界に伝承されていました。
これらの情報がキリスト教圏回復運動をきっかけに西ヨーロッパに伝来し、それを翻訳し(1.)、研究し(2.)、実践していく(3.)という流れができたと考えます。
また、4についても、少なくとも騎士道物語については若干の影響があったと考えます。
ギリシャ文学、つまりギリシャ神話には冒険と恋愛に関する話が多数見られます。
これらに触発され、さらに当時の花形であった騎士と結びつけられた形で、ロマンスと冒険あふれる騎士道物語ができたのではないかと考えます。
(騎士が花形というのは、戦争では騎士が活躍するからと考えました)
ただ、こうして変わり始めた世の中なのですが、本格的に変わるためにはもうしばらく(200年程度)かかるんですね。
なぜなのか?まんぼうがさらに考察を深めてみました。

12世紀ルネサンスからイタリア ルネサンスまで、なぜ時間が空いているのか?

実はレコンキスタの終わりが15世紀なので、これも含めて考えればそんなに時間的な隔たりはないんです。
でも、レコンキスタの舞台はイベリア半島で、イタリア ルネサンスはイタリア北部なので、空間的隔たりが出てきます。
とにかく、12世紀ルネサンスの後、しばらく変革の熱気が冷めた感があるわけですね。
どうしてこうなったのか?理由として私が考えるのは、以下の2つです。
1.抵抗勢力がまだ力を保っていた。
この場合の抵抗勢力というのはキリスト教(教会)のことです。
人文主義がキリスト教にとって不都合だったというよりも、いつの時代もその時の強大な権力は”変化”を嫌って敵視する、ということだったのではないかと思います。
どんなに小さな変化であったとしても、それは現在の権力に対しての”否定”という側面がありますからね。
そういう小さな”否定”を認めると、それが積み重なって、今の居心地のいい環境が台無しになるのではないか?と考えるんじゃないでしょうか。
この辺、いつの時代も変わらないと思いますよ。
(現在も御多分に漏れず、こういったことが社会のあちらこちらでみられているように感じます)
で、キリスト教は、十字軍をきっかけにしてその力が弱まるとはいうものの、まだまだ強大なものでしたらね。
それに異を唱えるのは、あまりにも気が引けたんだと思います。
2.お金がなかった。
まあ、そんなに貧乏だったわけではないと思います。
でも、この時の出資者はやはり「国家」「王様」「教皇」になると思うんですが、のちのメディチ家に比べると、とびぬけてお金持ちというわけではないんですね。
それに、戦争にはたくさんお金が必要なので、そちらに回す余裕がなかったのかもしれません。
とにかく、そんなこんなで一度冷めてしまった変革への動きも、またイタリア ルネサンスで燃え上がるわけです。

今日のところはここまでとします。
次こそ、いよいよいわゆる「ルネサンス」の始まりからお話していきたいと思います。
ここまで書いてきたところで思いますのが、このネタ、思ったよりも長期連載になりそうですね。
ある程度まとまったら、専用のページを作ったほうがいいのかもしれません。
何はともあれ、
それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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