アインシュタインの夢ついえる その2 日経サイエンス2019年2月号より

不思議大好きの、まんぼうです。
色々あってのびのびになってました、”アインシュタインの夢ついえる”の2回目です。
予告編はこちら
その1はこちら

なにをいまさらいっているのですか、とおもいましたか?

その1でも書きましたが、アインシュタインは”客観的な事実”と言いますか、局所実在論というのが成立している世界を信じていて、それが実証されることを夢見ていたようなのです。
まあ、普通に完成を持った人であれば、おそらく自然な考え方と思いますよ、実際。
で、局所実在論が成立している場合に成り立つ不等式をベルの不等式というんですね。
しかし実験してみたら、それが成り立っていなかった。
これがベルの不等式の破れ。
これが初めて実験で確認されたのは、1960年代だそうです。
(その1で私が感じていた通り、結構前ですね)
それなのに、なんだか”やっと証明できました!”的なニュースが流れてきたのはなぜか?

実は、”ベルの不等式の破れ”を検証した実験に対して、長い間「抜け穴」が存在していた。

そう、「抜け穴」があったからこそ、
”確かにぃ、実験結果はそう見えてるけどぉ、実はこんな見逃しがあったんちゃうん?”
と言われてきたようです。
その抜け穴は大きく分けて3つありました。
今回の実験では、そのうちの2つがふさがれたので、これで抜け穴なし!となったそうです。

はっ!?ちょっとまて!3つの抜け穴の2つがふさがれたのなら、あと1個残ってるのでは?

はい、おっしゃる通り。
でもね、まあとりあえず話を聞いてくださいな。

  • 抜け穴その1 局在性の抜け穴
    測定点が近すぎて、光速に満たない速度でも情報がやり取りできてしまう。
    これを使って2つの検出器がやり取りしてたんじゃないの?
    →これについては、この度の実験では、対象となる電子を1km以上離すことでクリアしました。
  • 抜け穴その2 検出器の抜け穴
    検出漏れが発生しているはず。検出しそこなったものも計算に入れれば、ベルの不等式が成り立っているのでは?
    →これについては、検出できたものだけを計算に使うことや、検出漏れを計算に織り込むことで、今回はクリアしました。
  • 塞げなかった抜け穴 選択の自由の抜け穴
    すべての事象は、宇宙の始まりから決まっていたのではないのか?
    →これについては、哲学的には面白いのだが、検証も反論も証明もできない事象。よって、考えないこととする。

まあ、3つあるうちの、技術的に論理的に塞げる2つをふさいだってことですね。
どんな手法をとったかといいますと、
・2つの電子を用意しまして、それぞれをダイヤモンドの中にある檻(格子欠損部)に閉じ込めます。
・その2つのダイヤモンドを、キャンパスを隔てて1280m離します。
・その電子にレーザーを当てて励起させ、そこから光子を出させます。
この段階では2つの光子は無関係ですが、それぞれの光子と発生源の電子は量子もつれ状態です。
・その光子は、真ん中にある半透明鏡で出会って、量子もつれ状態になります。
ここで、2つの光子が量子もつれ状態になることで、2つの電子も量子もつれ状態になります。
・この時点で電子の状態を確認しそれはそれぞれの場所(つまり1280m離れた場所)で別々に保存されます。また光子は半透明鏡の近くにある検出器で検出します。
こうして測定した結果は、80%以上の相関がみられた。これがベルの不等式の破れを証明している。
となるようです。
でもね、半透明鏡で2つの光子が量子もつれになる前に、2つの電子の状態を測定してしまったら、意味がないし。
かといって、測定器で光子を確認した、ということを電子のある場所に連絡してから電子の状態を測定したのでは、それもまた、意味がない。(だって、測定器から信号が届いたということは、とりもなおさず、測定器からある種の情報が届いたということですからね。遠くに話した意味がなくなりますよね)
となると、タイマーで測定するタイミングを決める、ということになりそうです。
でもね、相対性理論によれば、同時刻というのは相対的なものであるはずで、それって考えに入れなくていいのかな?って思ったり。
(同時刻の相対性が問題になるのは、光速に近い速度で運動しているときだけなのかもしれませんし)
まあ、この辺りが、2回勉強してもしっくりこなかった所です。
元の論文にあたればなんとかなるのかもしれませんが、野良学者というのは悲しいもので、論文を手に入れることが難しいんですよね。
(大学附属図書館でも、土日祝はコピーを現金でさせてもらえなかったりしますし)
あとは、国会図書館に頼むしかないのかなぁ。(不便です)

とにかく、アインシュタインが望んだ”観察とは関係のない客観的な世界”というものが潰えたということ?

まあ、そのように筆者も、おそらく多くの物理学者も考えているんでしょう。
私も、それについてそんなに異論を唱えるつもりはないんですがね。
でも、別の見方もできるのでは?と思ってしまうので、それについては次の回でお話ししましょう。

一介の野良学者が、いったいどんな”とんでもないこと”を考えているのか?
それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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