「発見されたガリレオの手紙から新事実」 その3 Natureダイジェスト2018年12月号より

不思議大好きの、まんぼうです。
量子もつれの件は、先週末に図書館で再度勉強しまして、ある程度納得したのですが。
もう少しまとめるのに時間がかかりそうです。
(つまり、納得できていないことも含めて、お送りする予定です)
もう少しお待ちください。

ということで、今回は「発見されたガリレオの手紙から新事実」その3としまして、第1回裁判の後から第2回裁判までをお送りします。
第2回裁判ということは、例の”伝説の場面”があります。
その部分については、事実ではなかったという説が濃厚なのですが、せっかくなので、まんぼうがモリにモッてお届けします。

第1回裁判から第2回裁判まで

第1回裁判の後、しばらく活動を控えたガリレオですが、どうも1920年ごろから活動を再開していたようです。
再開した理由として、

  1. 友人であり協力者であったバルベリーニ枢機卿が教皇ウルバヌス8世になったこと
    (1623年)
  2. そのウルバヌス8世に会いに行った(1623年)時に、彼の変貌ぶり(専制的で身内をかばうなど、古いタイプの人に代わっていたようです)に驚いたものの、地動説に対してそれほど悪感情を抱いていないように、ガリレオには感じられた。
    (ガリレオが友人に出した手紙からそのように推察されます)

ということが挙げられます。
他にも、協会側が地動説に対して軟化したように思われることがあったのかもしれませんが、とにかくガリレオは地動説に関する書物を発表しました。
その書物が「天文対話」で、1630年に執筆開始、1632年にフィレンツェで発行されました。
この本は少し変わったスタイルをとっていました。
地動説と天動説を両方ともあくまで仮説の話として扱い、結論が出ないような形にしたのです。
これは、地動説のみを唱えると、また協会から圧力がかかると考えてそのようにしたようです。
具体的には、3人の架空の人物が登場します。
コペルニクスの体系=地動説を支持するサルヴィアティ、知性ある門外漢=中立のサグレド、そしてアリストテレスの体系=天動説を支持するシンプリシオです。
ちなみに、サルヴィアティ(地動説)とサグレド(知性ある中立)はガリレオの友人の名前だそうです。
で、シンプリシオ(天動説)は、なんと”頭の単純な人”という意味なんですね。
ここまで考えれば、ガリレオが何を正しいと思っているのかは、自然にわかるわけです。
しかも、シンプリシオの主張は教会の主張と一致して、その名前の意味が”頭の単純な人”。
そりゃあ、協会の人も頭に来ますよね。
で、一説によると、教皇に対して”教皇、教皇。ガリレオの本に出てくる”シンプリシオ”は、どうもあなたのことらしいですよ”なんて吹き込んだ人がいたようです。(証拠はありませんが)
これで友人だったはずの教皇ウルバヌス8世が激怒して、第2回裁判が行われた、というんですね。
原因はなんであったとしても、ガリレオは第2回裁判にかけられます。

第2回裁判(1633年)

教会側の主張はこうです。
「第1回裁判の判決文に違反した。怪しからん」
確かに他にも理由はありました。
でも、その他の理由は、いちゃもんまたは言いがかりとしか思えないものばかり。(どちらも同じじゃないかと思いますか?私もそう思います。)
しかし、前のブログに書いていますが、第1回裁判の判決文は、偽物だった可能性が高いのです。
つまり、ガリレオは”ガリレオを有罪にするために作られた、偽の判決文だけを根拠に、第2回裁判で有罪となった”と言えます。
ここから、ガリレオをねたみ、彼を失脚させ、出来ればこの世から抹殺してしまおうと考える者たちによって偽の判決文が作られ、陥れられて裁判で有罪になった、と考えられるのです。
そこから、教会(宗教)がガリレオ(科学)を弾圧していたのではない、という論法が成り立つのですが、私はそれはどうかなと思います。
たとえ誰かの差し金だったとしても、教会(宗教)の最高権力者が、その力でもってガリレオの意見を封殺し、もしかしたら抹殺していたかもしれないのです。
ですから、少なくとも教会(宗教)がガリレオ(科学)の弾圧に利用されたといえるでしょう。
そして、そういった悪事に利用されながら、それを止められなかったのですから、教会(宗教)に大きな責任はあるのではないでしょうか。
(ただ、1992年ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオの裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪しました。
これは、素晴らしいことだと私は思います。)
話がそれました。
とにかく、ガリレオは第2回裁判で有罪となり、あの”伝説”が生まれます。
ここからは、盛りに盛っていきますので、わかりやすく
<ここから  ここまで>
と書きます。
(つまり、この間の部分は、事実をもとにした嘘ですので、誤解なきようお願いします)

<ここから
ついにガリレオに有罪の判決が下った。
彼の前には異端誓絶文が置かれていた。
彼は、沈痛な面持ちで、ぼそぼそとそれを読み上げ始めた。
「ローマ ミネルヴァ修道院 1633年6月22日 故ヴィンツェンツォ・ガリレイの息子でありフィレンツェ在住の・・・」
彼の敵共は満面の笑みでその様子を眺めています。
一方、彼の友人達や弟子達は、心配そうに、あるいは悔しそうに彼を見つめます。
「・・・世界の中心に不動であるのは地球ではなく太陽であるという思想を信じ、説いているのは強い異端の疑いがあると糾弾されました。・・・」
彼の表情は、沈痛を通り越し、次第に無表情になっていき、声には抑揚が消えていきます。
「・・・前述の誤りと異端の教えを放棄し、嫌悪いたします。・・・そして今後は決して口頭でも著述でも、同様の疑いを抱かせることを表現しないことを誓います。」
彼の敵共は拍手喝采でお互いに笑みを交わし、お互いを讃えあっています。
そんな様子を一瞥した彼は、すぐにまた視線を落とし、そして、声を出さずにつぶやきました。
その内容は、心から彼の身を案じ、彼を見つめる友人達、弟子達にだけ、はっきりと伝わりました。
彼はこう言っていたのです。
”それでも、地球は、動く”と。
ここまで>
もう一度言っておきます。
ガリレオが、”それでも地球は動く”とつぶやいたのは、事実ではないという説が有力です。
まあ、そんなことをつぶやいて、万一それが敵共の耳に入れば、間違いなく火あぶりですから。
でもね、あまりに悔しいじゃないですか、この場面。
このぐらい盛らないと、気持ちが収まらないじゃないですか!
ということで、すっきりした後に、もう一度お断りしておきます。
この件に関して、1992年ヨハネ・パウロ2世がガリレオに謝罪しました。
私は、この出来事を非常に評価しています。
このことをもって、私の中では、宗教は科学の敵ではなくなりました。
悪しき過去は過去として、いつまでも引きずってはいけません。
(大いに自戒の意味を含めて)

さて、次回その4では、第2回裁判後のガリレオについてお伝えします。
wikipediaでは結構悲惨な感じですが、私が買った書物「物理学天才列伝 上」によれば、困難ではありましたが、絶望という感じではなかったように思います。
もちろん、協会側のひどい仕打ち(死してなお、カトリック教徒として葬ることを許されなかったとか)はありましたが、良き友人や弟子に恵まれたのではないかと思われる節もあります。
そのあたりと、できれば今回の発見に関しての、まんぼうの考察もお送りしたいな、と思っています。

それではまた、次のおもしろ不思議でお会いしましょう。

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