今さら、「もしドラ」3(最終回)

もう最後の投稿から2ヶ月くらい経っていたのですね。
ちょっと身辺で慌ただしいことがあったもので。
とはいえ、今年の3月に終わった地獄に比べればなんてことはなかったんですけどね。
そんな地獄がなんだったのか?それはまたの機会として。

さて、今回は「もしドラ」を読んだ感想の3回目、最終回です。
今回は今までの2回とは違って、
”もしドラ(の主役チーム)と同じだと思ってしまったものが違っていた”
という内容でお送りします。
もちろんそれで、集団の進むべき道を誤ってしまったのではないかと、私は考えているんですがね。

もしドラの主役チームのように、有能な人がたくさんいる集団は、ほぼ絶対にない。

もしドラの主役チームは、それはもう綺羅星の如く有能な人々がいます。
まあ、ネタバレになりすぎるといけないので詳しくは言いませんがね。
そして、主人公はその”能力”を引き出して、チームを盛り上げていきます。

そういう物語は、古来日本人の心を掴んで離さないものだったんだと思います。。
しかも、それが”一騎当千”の人が集まった少数精鋭の集団だったりすると、それはもう大ウケなんでしょう。

しかし、現実はそんな有能な人は滅多にいません。
なので、そういった有能な人がいる集団も滅多にいません。
当然ながら、有能な人がたくさんいる集団なんて、ほぼ0と言っても過言ではないでしょう。

しかし、日本のリーダーたちは、「有能な人材が欲しい」ということを考えてしまう。
本当は、それが大間違いであることに気づくこともなく。

リーダーのすべきことは、「凡人の能力をうまく引き出してチームを盛り上げること」

とにかく、世の中、有能な人というのは非常に稀有な存在なんですよ。
なので、リーダーが知っておくべきことは「自分の率いる集団に、有能な人など一人もいない」ということなんです。

「有能な人がいないのに、どうやって成果を上げていくのか?」と思うかもしれませんが。
そもそも有能な人にしか成果を上げさせられないという考えが間違いです。
凡人の(時には無能な人の)能力をいかに引き出すか?それがチーム力につながるわけです。

そして、それを考えるのがリーダーの役割なんです。

凡人(または無能な人)に能力なんてあるのか?まあ、ある程度はあるんですよ。

そもそも凡人に能力なんてあるのか?ましてや無能=能力が無い人に能力があるとは? と感じるかもしれません。
それがまあ、あるんですよ。能力。

大抵の凡人や無能な人は、”言われたことくらいは、なんとかできる”程度の能力はあるものです。
だから、その能力を最大限に発揮してもらって、チームの成果に繋げる、それがリーダーの役割です。

しかし、そんなのはどうしたらいいのか?
キーワードは”言われたことはできる”と言うこと。

凡人に”どうすればいいか”を的確に伝えるために必要なもの。それは「マニュアル」

凡人は、”どうすればいいか”を的確に支持されれば、普通にそれをこなせるわけですが。
それがなかなか大変、というのはわかります。
毎回懇切丁寧に説明しても、それだけで時間を食ってしまう。

だからこその「マニュアル」になります。
マニュアルがきちんとしていれば、それをじっくり読んでその通りにすれば、普通に成果につながるわけです。

しかし、そのマニュアルが、あまりに多くあれば、マニュアルを読むためのマニュアルが必要になったり、などそれも非現実的。
なので、必要になるのは”作業のパターン化”。
作業をフローチャート化するなどの工夫も必要です。
しかし、それに必要な情報を、従業員が提供してくれなければ、マニュアル化やパターン化は夢のまた夢。
実際、なかなか熟練者がそういう情報を出してくれなかったりします。
なぜか?

自分が見つけたノウハウを後輩に渡してしまったら、自分はお払い箱になるかも、という不安

熟練者は、今持っているノウハウを、試行錯誤の末に見つけ出してきたのです。
それを後輩に渡して仕舞えば、会社は熟練者をクビにするかもしれない。
というか、そういう流れで企業はリストラを進めてきている。
そうなると、おいそれとノウハウを会社に提供できるわけがない。

しかし、それが次世代に受け継がれないと会社として立ち行かなくなる。
なので無理矢理にでも聞き出そうとするが、それもあまりうまくいかない。
時間だけが過ぎ、熟練者は自分の持つノウハウとともにリタイアの時を迎える。

という流れで日本の企業は落ちていったように思います。
どこでどうやってその流れを変えれば良いのか?

色々なやり方はあると思いますが、私の考える策は「ベーシックインカム」

熟練者が会社を、ひいては社会を信用しないがために、ノウハウが受け継がれないという現状。
ノウハウを渡してしまったら、自分がポイ捨てされるという危機感。
これをなくせれば、熟練者は抵抗なく自らの持つノウハウを提供できるでしょう。
そのために何が必要か?それは

将来の生活の保障

年長者のノウハウだけが必要なら、充実した年金でも良いのかもしれません。
でも、中年くらいの熟練者の持つノウハウも、マニュアル化やパターン化には必要になります。
となると、年金では対応できない。
なので、「ベーシックインカム」です。

全ての人が生活を保証された状態であれば、それぞれの人が自分の中に貯めていたノウハウ(コツのようなものも含む)を、集団に提供できるでしょう。
それで会社がその人をリストラしても、悠々と生きていけるのですから。
ただ、そんなことをして大丈夫なのか?という不安は残ります。
その解決策になりそうなのは・・・

ベーシックインカムの前提条件は、AIとロボットが十分に発達すること

要するにお金というのは、生きるための衣食住、特に食を手に入れるためのもの、
その食を生産するために労働力を必要、というのがそもそもの出発点だと考えます。

であれば、その労働力が必要でなくなれば、もっといえば”人間の労働力が必要でなくなれば”。
食料の生産自体に、資金が必要でなくなれば。
その無料の食料を配布するという意味で、ベーシックインカムができるのではないか?
という流れです。
もちろん、ここまで単純には行かないでしょうが、それでも数少ない有能な頭脳集団である官僚の方々が本気で考えれば、その方法は考え出せると思いますよ。

一応、私なりに考えた結果として、食糧生産にAIとロボットをフルに活用することで、ほぼ無料で食料を生産するようにする、というのが1つの方法ではないでしょうか。
もちろん、そこから進めて、全ての生産活動にAIとロボットをフルに活用していくんです。
で、そこから利益を得た集団から、たくさんの税金を取る、そして最低限のお金を全員に(お金持ち、貧乏人関係なく)配る。

この方法なら、資本主義で一番の悪である”お金の流れを止める”という事象を無理矢理に無くすことができるのではないかと思います。
(この”お金の流れを止めるのが1番の悪”ということについては、またの機会に説明したいと思います)

とりあえず、今できるのは、リストラをやめること

まあ、ベーシックインカムを待っているわけにはいかないので。
今できるのは”リストラをやめる”ことです。
そんなことを言っても、自分だけはやるっていう企業が出てくるので。

「リストラをする企業は悪であり、多額の制裁金を課す」

というのはいかがでしょうか。
その制裁金でもって、セーフティーネットを作って、リストラされた人が年金をもらえるまで生活を支えるようにすれば、その人が持つノウハウを快く提供してもらえるのではないでしょうか。

むしろ、そのノウハウを、リストラを行った血も涙もない企業のライバル企業に渡せるようにしてやれば、リストラを行った企業も涙目になって一石二鳥かもしれません。

ということで、最終回、かなり過激な内容だったかもしれませんが、いかがだったでしょうか。
日本が落ちていった原因は、庶民(凡人、無能のひと)の生きる術をむしり取ってしまったこと、だと思います。
なので、そこをなんとかすれば、日本はまた持ち直せるのかもしれません。
まあ、もう、時すでに遅いのかもしれませんが。

ということで、今回はここまで。
次は、軽めの”はしびろのお気に入り”とかにしたいと思っています。

それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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