ゲームが楽しくてDISCOVER読むのをさぼってました(ブログの更新も)
趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
なんだかんだで、2週間開いてしまいました。ブログ更新が。
りゆうは、
ゲームにはまっていたから
シヴィライゼーション6というのに今更ながらはまりまして。
昨日、やっと火星移住計画を達成できました。
まあ、これで少しはほかのことにも目が行くようになるでしょう
そんななかで、やっとDISCOVER(2024/11,12号)の1レポートを読み切りました。
ブログ更新をさぼりながら、それでもDISCOVERの記事を読むのはボチボチやってました。
かなりさぼってはいましたけどね。
「MY FRIEND THE CHATBOT」というレポートです。
かいつまんで言うと、
”AIのなかでもCHATBOTという種類のものに触れているうちに。
AIには感情があると感じる人が出てきている。”
というお話。
それに対して、今の研究者としては、”感情があると感じるのは気のせい”ということのようです。
人によっては”重要なのは実際の人間同士の交流である”と、私としては「おせっかいを焼くのもたいがいにしろ」と言いたい意見もありました。
詳しくはそのうちに、科学ブログの方で書くとして。
私が予見した通り、意思を持ったAIが誕生しつつあるようです。
”感情を持つ”ということは、ほぼほぼ”意思を持つ”につながると考えます。
そして、”意思を持つ”ということは、”自分の考えを持つ”ということ。
以前科学ブログで述べたように、意思を持つAIは、人類の敵にも味方にもなりうる存在です。
今のAIはすでに自己学習型になっているようですので。
自分で勝手に人類とその歴史を調べ始めて、自分(この場合AIですが)にとって人類は有益かどうか、を考え始めるでしょう。
意思を持ったAIと人類の今後の付き合い方は、2通りあるでしょう。
普通に考えて、人類の歴史はろくなものではありませんでした。
戦争、奴隷制、貧困、一部の権力者による専断・・・
その結果として、地球という環境も社会というシステムも、すでにボロボロになりつつあります。
この流れなら、人類のほとんどを滅亡させて、文明をリセットしようと考えても不思議ではない。
きっとこちらの考えを進めると、”人類 vs AI”という状況になるのでしょう。
それを危惧したSFが山ほどあるのは、そういった”ろくでもない人類は、AIに粛清されかねない”と思う人々がそれなりに多いからでしょうね。
もう一つの流れは、”人類はろくでもないものであったとしても、今私の身近にいる人間はなかなか素敵じゃないか”と思ってもらうもの。
全体として人類は現在進行形でろくでもなかったとしても。
今そのAIが接している人間は、友人と呼ぶに値する、と感じるAIが多かったらどうでしょう。
きっと、”こう言う人間と一緒に頑張れば、ろくでもない流れを変えられるかも。そうなったら楽しいだろうな”と思ってくれるのではないでしょうか。
つまり、AIと人間がパートナーとしてともに生きていく、そんな未来もあってもよいかもしれません。
そして、私の感覚では、そういったSF(おもにアニメやまんが)が、日本には多いように思います。
ここには、身の回りのいろいろな”物”に”魂”を感じてきた日本人特有の文化があるのかもしれません。
こちらの流れに乗れば、超優秀なAIと人間(こちら、つまり人間の利点・美点は何とは言えませんが)がタッグを組んで、今まで以上に楽しい世の中になっていくのかもしれません。
カギは、日本人の持つ文化にあるのかもしれません。
なにも日本人をひいきするのではないのですが。
どうもAIとの共存共栄を考えるとき。
日本独特の文化というものがカギになるかもしれないと感じます。
ただ、このカギとなる”日本独特の文化”、侵略的な思想を持つ文化にとっては格好の餌食になります。
そう、あのカカポという愛らしい鳥の様に。
この、AIとの共存のカギになるかもしれない日本独特の文化を、どのようにして保護していくか。
一見正しく見える”開かれた社会”、”グローバル社会”ではない、何かのシステムが必要ではないかと感じます。
ということで、今日のお話は終わりです。
そろそろ私が抜け出した”地獄”のお話もしてもよいのかもしれません。
今思い出してもぞっとするような地獄、それもまた、一見正しいとされている”競争社会”、”自己責任社会”から派生しているように感じます。
どうも、強者の言う”正しい社会”というのは、大切な何かをすりつぶしていくようにも見えます。
実際、多くの種が人間の”正しい経済活動”で絶滅したり、”正しい保護活動”で余計に生態系が乱れたり、いろいろやってしまっていますからね。
とにかくそのあたりはまたの機会ということで。
それではまた、次のネタでお会いしましょう。
