パラダイムシフトの視点から、「老害」を考えてみる。

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
最近話題の「老害」について書いてみます。
一時期新型コロナウイルス感染症の記事を書いていたのですが、ちょっと日本政府の方針が見えてしまってからは萎えてしまいまして。
時事ネタは書かないようにしてたのですがね。
たまにはいいかなと思いまして。
実は、この記事は新型コロナの関連記事のうち、ボツになったものがベースになってるんですけどね。
それでは早速。

「老害」が起こるのは、パラダインシフトについていけないからでは?

例の方が例の発言をしてから、「老害」という言葉をよく聞きます。
私自身、初老といわれる年齢になっていますが、絶対に「老害」にはなりたくない!と常日頃思っています。
でも、「老害になるのはなぜか?」、「そもそも老害とは何なのか?」がわからなければ、防ぎようがないわけで。
いろいろ考えてみた結果は、

  • 老害とは、「パラダイムシフト」についていけなくなった老人が、周囲に与える損害ではないか?

ということでした。
ここからは、その結論に至った経過と、私なりに考えた対処方法をご紹介したいと思います。

まず「パラダイムシフト」とは何か?

よくわからない言葉が出てきた時はwikipediaに聞いてみるのが一番ですね。
wikipediaには次のように書かれています。
”パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。”
”科学史家トーマス・クーンが科学革命で提唱したパラダイム概念の説明で用いられたものが拡大解釈されて一般化したものである。”
当然、ルネサンス付近で起こったいろいろなことは、パラダイムシフトの例として挙げられています。(天動説から地動説など)
あとは、相対性理論や量子力学もその例のようです。
簡単に私なりの解釈をしますと、

  • ”今まで常識と思っていたことが、ある時「間違い」である。または今まで間違っていると思っていたことが、ある時「正しい」となること”

ではないでしょうか。

大なり小なり、世の中は変化していきます。
その変化が非常に大きい、転換点をパラダイムシフトというようですね。
こういう時期に何が起こるのか?
そのあたりを次に見ていきましょう。

パラダイムシフト時には、古い考えの人々による強烈な反抗(弾圧)が起こることが多いです。

先ほどの例の中にもあった、「天動説から地動説への転換」を考えてみます。
地動説を支持したジョルダーノ・ブルーノは火あぶりとなり、ガリレオ・ガリレイは2回の裁判を受けて2回とも有罪となって、2度目の有罪時には(おそらく意に反して)地動説を撤回する趣旨の宣誓文を読み上げさせられました。
地動説を唱える書物は禁書となり、徹底的に弾圧されました。
ほかにも、世界的にみられる様々な革命においては、新旧を問わず激しい闘争(戦争)が発生することが多いですね。
(市民革命、南北戦争、などなど)
ただ、日本においては、明治維新でも太平洋戦争敗戦時でも、それほど新旧勢力で激しい闘争はなかったように思います。
まあ明治維新においては、旧士族による反乱が起こりましたが。(その最大のものが西南戦争ですね)

今の日本社会も、パラダイムシフト=大きな変化 の時期かもしれません。

今の日本社会も、ある種のパラダイムシフトを迎えているのかもしれません。
例えばよく言われる、「働き方改革」とかですね。
そういうものも含めて、どんな変化が起こっているのかを考えてみましょう。

今のお年寄り(70代あたりでしょうか)は、

  1. 男性仕事、女性家事
  2. 仕事第一
  3. 苦労即美徳
  4. 長時間労働万歳
  5. 対会社絶対服従
  6. 直接会合絶対正義

辺りの考え方が普通なんだと思います。
でも、おそらく20~30代の方々にとっては、
”はっ!?イッテイルコトガワカラナイ。”
って感じでしょう。
いや、50歳目前の私ですら、”言っていることがわからない”って感じですから。
とはいえ、”わからない”で済ませられませんので。
そうですねぇ、上の1~6が今はどうなっているか、私なりに見てみましょう。
1.について、言うまでもなく、男女平等です。はい、終わり。
2.と4.については、ワークライフバランスっていうのが重視されています。
3.と4.については、効率重視ですから、無駄な苦労や長時間労働はむしろ忌むべきことです。
5.については、パワハラ厳禁ですから、これはあってはならないとさえ言えます。
6.については、通信環境やツールの発達で、対面で何かするのは非効率・非合理的になりつつあります。
そう、まさに昔は常識だったものが、今ではナンセンスになりつつある(というか、もうなっている)わけです。
なので、本当に社会(もう少し小さい範囲でいうと会社)のことを考えると、1.~6.は即時撤廃するべきなのですね。
つまり、我々は変化していかなければならない状況に置かれているんです。

ところが、この変化についていけない人の中のお年を召した方が、自らの特権を利用して、変化することを攻撃し始める。多分これが「老害」なんでしょう。

でも、この変化についていけない人がいる。多分年齢に関係なく。
そしてその中の”お年を召した”方が、
”年上には絶対服従”
という、古くからの慣習を盾に取り、変化することを攻撃し始める、という流れが見えます。

そうでなくても、あらゆる組織において、権限を持つ人がお年寄りであることは多いでしょう。
その結果、組織のシステムにより、ルールを作るのも変えるのがお年寄りの権限になってしまっている事が多々あります。
本当は、この慣習やシステムは、現在では通用しない”用済みの常識”なのでしょうけど。
そして、この”用済みの常識”が、環境への適応=変化 を阻害する。
その結果、集団・組織・社会に対して、様々な損害を与えてしまう。
このように、

  • 権限を持つ老人が変化を拒む事で周囲に損害を与える事を「老害」と呼ぶ

という事だと思います。
一言でいうと、「お年を召した方の中の、権限を持った方が頭の固い人の場合に周囲に与える損害を、老害と呼ぶ」ということでしょう。

でも、昔からそういうシステムだったのに、最近になって老害というのが目立ち始めたのはなぜか?
それは、

今の社会は、変化が今までになく急激になっているからだと考えます。

年代によって感じ方が違うのかもしれませんけれど。
少なくとも私は、現代社会は今までになく急激に状況が変化するようになっている、と感じます。
なので、少し前までは「ちょっと様子を見よう」と言って流せていた状況が、そう言っている間に、あっという間に手遅れの状況になる、と感じています。
ある意味、パラダイムシフトが短期間に連続して起こっているのかもしれません。
何が原因か?
技術の進歩?人口比率の急激な変化?国際状況の変化?
いろいろ考えられるものはあるでしょう。
何が理由かはともかくとして、今まではむしろ良い策なこともあった「様子見」という手法がほぼ確実に悪手となり、それによって損害が出るようになったと感じます。
そして、その損害というのが半端なものではなく、おそらく次のように言えるのではないでしょうか。

変化についていけないものに待っているのは、停滞ではなく、没落または滅亡。

何も脅すつもりもないですし、あながち根拠がないわけでもありません。
地球史において(というか生物史において)、大きな絶滅というのが4回あったとされます。
その理由は色々と言われていますが、共通していると思われるのが”環境の激変”。
ここで絶滅してしまった種は、その環境の変化についていけなくなったということです。
それまでの緩やかな変化に、緩やかに対応していった種が、激変期に対応できなかった結果が、種の絶滅なわけです。
この法則は、おそらく人間の社会においても通用するのではないかと、推測したまでです。

次の時代に消滅してしまう組織、つまり「不必要になりそうな組織」を見分けるのは、今となっては簡単かもしれません。

これから没落、もしくは滅亡していくであろう組織及び団体を見分けるのは、今となっては簡単です。
この1年に、適切なコロナ対策を取れたかどうか、それだけでいいのですから。
(これが起こる前は、なかなか判断が難しかったでしょうけど)
別に、テレワークをしたかどうかだけではないんです。
出勤しなければならないかどうかを適切に判断し、出勤するしかないのならば、どのように密の状況を避けるか。
従業員を守るために、取るべき手段は?
営業時間の変更、システムの改善、労働環境の整備(防護シートの設置とかですね)などなど。
いくらでも対策は取れたはずです。
その中で、全く対策を取らなかった組織は、今後没落していくことは確実です。
なぜなら、変化する状況に、対応しようとすらしなかったのですから。
これから起こっていく環境の変化についていくとか、順応するとか、そんなの出来るわけがありません。

もちろん、第1波の時はテレワークをしたのに、第3波の時に何もしなかったところも、言うまでもなく危ないでしょう。
あと、組織がとったコロナ対策に対して、反抗した人がいた組織も(テレワークをしたのに無理に用事を作って出社ばかりしたとか)、も危ないですね。
そして、組織の取ったコロナ対策に反抗する人を人を、組織のトップが高く評価したケースも、危ないと判断できます。

というのも、今挙げた3つの例に当てはまるこういう組織は、第1波の時に先進的な考え方をする重役の方々がトップを突き上げた結果、トップがしぶしぶコロナ対策をとったという可能性が高いですね。
それでもそれに反抗して古い考え方を通そうとしたトップ及びその取り巻きの方がいるようです。
つまり、社風として古い非効率的な、現在においては通用しない考え方がはびこっていて、トップもそういう考え方が大好きということなんだと思います。
トップとその取り巻きが抵抗勢力ですから、時代の激変に対して、適切に対応していくことは難しく、常に後手後手に回ることが予想されます。
その証拠が、第2波、第3波の時の無策な方針に表れていると考えられます。

不幸にして、次の世代に不必要な組織に属してしまっていたら、難しい選択を迫られます。

不幸にして、こういった、「次の時代に不必要な組織」に属してしまっていた場合、難しいですね。
他の組織に移るのが最善ですが、それもうまく行くとは限らない。
それに、ゆくゆく滅亡するにしても、それが20年後なら自分には関係ないと考えられなくもない。

そもそも、その組織から抜けることが不可能に近い事もありえます。(例えば国という組織は、そう簡単に抜けれませんし)

チャンスがあれば、組織を抜ける事を考えつつ、それが出来るまでにもし、組織が消滅したときのことも考えておく。
本当に難しい世の中です。

一つ言えるのは、組織が変わることに期待してはいけないということ。

変えられるのは、自分と、自分にとても近しい少数(もしかしたら1人か2人)だけです。
組織が、ましてや頭か固くなったお年寄りのトップが変わることに、期待してはいけませんね。
あえて言うなら、変わることを少しとはいえ期待できるのは、国や自治体という公的組織です。
こちらは、選挙権を持っていれば、たったの1票とはいえ、投票することができるわけで。
変わることを祈りつつ、変えてくれそうな人に1票を投じることはできます。
というより、そうすべきですね。

それ以外の組織・団体、例えば、町内会、学校、会社などに対しては、それらが変わることに期待してはいけません。
(逆に家族は、もしかしたら構成するメンバー全員の知恵と工夫と努力で変わることも可能かもしれません。少人数ですので。)
町内会であれば、引っ越しを。
学校であれば、とりあえず卒業まで待つか、転校を考えるか。
会社であれば、転職を。
真剣に考えるべきですね。すぐに行動するかどうかはともかくとして。
まあ、どこに行っても同じという見方もできますが、座して死を待つよりは、いろいろと考えた方が建設的と思います。
(往々にしてありがちなのは、「どこでも同じ」という人に限って、組織を移ったことはなく、他の組織を知りません。さらに、頭が固く、その組織が良い方向に変化することを全力で阻害している人だったりします)

でも、トップが代替わりして若返れば大丈夫ではないかと、考えたくなりますが、そう簡単には行きません。

間違ってはいけないのは、お年寄り=頭が固い、ではないということ。(若い人でも頭の固い人はいっぱいいます。)

そうそう、年を取ったからといって頭が固くなるわけではありませんね。
ここでの論法は、
1.日本においては、年を取った人がルールを決定する権限を持つという慣習がある。
2.そのお年寄りが、頭の固くなった人だと、組織が硬直化して、滅亡する。
ということで、

・若いのに頭の固い人はいるが、そういう人はルールを決定する権限がないので、影響がない。

ということ。

ということは、頭の固くなったお年寄りに変わって、頭のもとから固い若者がトップになったとしても、なんら改善されることはない、ということで。
何が言いたいかといううと、頭の固くなったトップのお年寄りが好むのは、元から頭の固い若者だったりするので、そういう人に権限が譲渡されることが多いのかな、と。
つまり、見た目組織の若返りをしたとしても、実質何も変わらないかもしれない。=組織が変わることに期待してはいけない、につながっていくわけです。
なんとも絶望的というか、しょっぱい展開です。

では、自分が老害にならないためにはどうすればいいか?頭を柔らかくしていればいいのではないでしょうか。

周りをコントロールできないことはわかりましたので、あとは自分をコントロールすることを考えてみます。
自分が老害にならなければ、もしかしたら自分は滅亡を免れるかもしれません。
では、自分が老害にならないためにはどうすればいいか。
前述しましたが、老害=頭が固い であれば、頭を柔らかくしていればいいはずです。
どうすれば頭が柔らかい状態をキープできるかといえば、常に情報をアップグレードして仕入れていけばいいはずです。
ただ、なんでもかんでも情報を詰め込めばいいわけではなく、やはり自分の頭で考えつつ情報の取捨選択をする習慣をつけることが必要でしょう。

あと、新しいことにチャレンジすることもいいかもしれません。
常に、「何かの初心者」という状態をキープすることで、思い上がりを防げるでしょう。
この、思い上がらないということも、思考の柔軟性を保つ秘訣になると感じます。

ということで、今日の話題はこれまでとします。
時事ネタって往々にして陽気なネタにならないんでね。
あんまり書きたくないのですが。
たまには書かないと、腹ふくるるわざ、になってしまいますので。

次はまた、ピアノかDTMか、もしかしたら久々にお気に入りか?
楽しいネタにしたいと思います。
それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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