根拠のない安心感は、COVID-19との戦いに取って邪魔です。

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
なんだか最近、根拠なく”新型コロナなんか、たいしたことないんだよ”っていう記事が増えたような気がします。
しかも一見すると、数字を使ったりしてちゃんと考えているようなふりをしているのが、とても怖いところです。
今日はそんな記事の一つを取り上げてみましょう。

東京で新たに200人の感染者が確認されたということは、東京都民1400万人中で感染者が200人という事では、全くない。
(これはミスリーディング)

あるお医者様が、上記の様な主張をされました。
これからちょっとこの方の記事をこき下ろしますので、お名前はあえて伏せさせていただきます。
ただ、緊急事態宣言が解除になった時(6月の初旬だそうですが)に
「日本のコロナウイルスは終わった、さあ旅に出よう」
という記事を書かれたそうです。
はっきり言えば、この”コロナウイルスは終わった”も論外なのですが、今回はこれには触れず、東京で200人の感染者がいるという状況をこの方がどう説明しているかだけを取り上げます。

この方は、
”「200人要請」=「ほとんどの都民はウイルスを持っていないのがファクトです”
と言っています。
当然ですが、これは大きく、激しく間違っています。

毎日報道されているのは、検査で新しく判明した陽性者数です。
なので、このかたの言う通り、1400万人の中で、たった200人の感染者だ、と言うためには、毎日1400万人全員の検査をしていなければ言えません
その上で、何日立っても陽性が出た人数が200人であるという状況でなければなりません。
ご存知の通り、実際には200人を超えた状態が4日間連続しました。
累計で言えば800人以上が陽性だと判明したわけです。
その前に70人くらいの日を挟んで、100人の感染者が確認された日が結構続きました。確か6日でしたか?
ということは、少なくとも670人の感染が判明していたことになります。
そして、発表されている陽性者の人数が、”新しく判明した”陽性者数なので、単純に足し合わせていいことになります。
それでは足し算しましょう。
1470人ですね。
もし計算間違いしていたら教えてください。訂正しますので。
まあ、計算の苦手な私が言うのも何ですが、このお医者さん、ただの足し算すらしなかったことになります。

だからでしょうか、もっと高等な、割合を使って掛け算することなんか、思いもしなかったのかもしれませんね。
普通に考えればこのケースでは、検査数と陽性者数から陽性者率を求め、それを都民の人口1400万にかけるくらいはしないといけません。
陽性者率を6%としたとき、1400万かける0.06で、84万と言う数値が出ます。
なので、ほとんど考えなしの状態でも、84万人と言う数値くらいは出して欲しいものです。
実は、この操作をしてはいけないのですが、それは後ほど説明します。

そういえばさらに、感染経路不明の方が増えているそうですね。
最近は半分くらいが、感染経路不明だそうです。
その方達も、どこかにいる最低一人の感染者から感染したはずですね。
と言う事は、200人の半分、100人を感染させた最低100人の感染者が別にいるということですよね。
なので、全く何も考えない人であっても、200+100=300人と言う数値にはなるはずです。

もちろん、医師免許を取るくらいに勉強の出来る方が、これに気付いていないわけがありません。
と言う事は、意図的に感染者数を少なく見せたかった、と考えられます。
(上記の数字で一番少ない200人を提示したわけですからね)
これっていわゆる、ミスリーディングですね。
どんな意図があったにせよ、ここで偽の情報を故意に出すのはいただけません。
(かなりマイルドに言っているつもりです)

そもそも、今の感染者数に関して言えば、無作為抽出していないので、単純に比例計算するのは間違っている。

前にも言いましたが(こちらの記事)、比例計算などを行うためには、使用する数値が統計処理して良いことが前提となります。
そのためには、母集団は無作為抽出されたものでなければなりません。
しかし、今回の検査は、作為的に抽出した集団に行われています。
感染リスクの高い集団に対して積極的に検査を行ったとおっしゃってますからね、行政が。
つまり、そこから出した陽性者率は、都全体の陽性率とイコールではない可能性があるのです。
つまり、その陽性率を都の人口にかけちゃだめなんですね。
ここから言えるのは、現在の東京都における感染者数を推定する手段はないと言うだけのこと。

日本において、COVID-19による死者が少ない原因は、未だ不明。よって日本は特別に死者が出にくいとの主張は、根拠がない。

この先生、ポジティブな情報が出てこないと批判されていて、その中の一つに「日本においてはCOVID-19による死者が少ない」ということが報道されていない、と主張されています。
確かに、日本において死者が異様に少ないのは事実です。
でも、これについては色々と報道されていて、様々な憶測が飛んでいます。
かの山中先生は、流石に憶測は飛ばしていませんが、ファクターXがあるのではないかと予想されています。
つまり、この先生が「報道されていない」と主張している情報は、きちんと報道されているわけです。
その上であえて言いますと、「日本においてCOVID-19による死者が少ない理由は、未だに不明」なんです。
いろんな憶測が飛んでいますが、どれも良くて仮説、殆どが推量の域を出ていません。

この状況で1番怖いのは、
「日本では、なんかわからんけど、死ににくいから大丈夫」
と思い込むこと。
こう思い込む人が多くなれば、日本人はそれこそノーガードでCOVID-19と戦うことになります。
もし仮に、日本特有の、COVID-19で死なない理由がなかったとしたら
その状態で、ノーガードで、COVID-19の第2波に挑むとしたら。
この先はもう、考えたくない様な地獄になってしまいます。
この先生、こう言う未来をわかっていてこの主張をしてるのでしょうか?

間違った統計的手法を用いたり、根拠のない安心感をあたえたりするのは、今後のCOVID-19との戦いにおいて障害となる。

先ほど言いましたが、根拠のない安心感を与える事は、COVID-19との戦いを不利にします。
せめて、COVID-19の正確な致死率とか、正確な感染経路などがわかった状態なら、こうした、安心感を与えることも良い事と思えるのですが。
私が調べた限りでは、致死率に関しても大きな幅がありますし、感染経路など、最近になって空気感染が取り沙汰されるという状態です。
しかも、感染経路について更に言いますと、今回言われている空気感染と、以前から言われているエアロゾル感染の関係すらはっきりしていない。
こんな状態で、”恐怖を取り去るために”、”安心を与えるために”、といったところで、正常な思考回路の人にとっては逆効果になります。
藁をもすがる思いでこの先生の言うことに飛びついた人は、きっとこれからCOVID-19に対してノーガード戦法を取ることでしょう。
感染症との戦いで、こうした”鎖の中の弱い輪”が集団にとっての致命傷になることは、想像に難くないでしょう。
とにかく今我々がすべきは、できるだけ冷静にCOVID-19の事を把握して、その時に最も正しいと思われる選択をすると言う事。
単なる気休めは、ジャマです。

誰が何と言おうと、人類は感染症と戦って来た。感染症が無くならないとしても、感染症にかからない、感染症が拡大しないための対策を取るべき。

残念ながら、COVID-19が世界から消え去る事はないでしょう。
これは、数多くある他の感染症源と同じです。
だからと言って、人類がCOVID-19と仲良くなると言う事は決してあってはなりません。
これもまた、数多くある感染症源と同じです。

例えば、今ペストが流行したとします。
ペストが流行する前は、人々がペストという病気のことを、四六時中考える必要はないでしょう。
しかし、いったん流行したとなったら、感染拡大を防止するためにみんなでペストという病気について考えるでしょう。
どうすれば感染しないのか?
どうすれば感染拡大を防げるのか?
きっと、全員で真剣に考えるでしょうね。
その状況で、どこに
「ペストは昔から人類とともにあったのだから、特に考えなくてよい。我々はペストと共に存在していくのだ」
とか
「人はどうせ死ぬときは死ぬんだから」
と考えて、ペストの事を無視し、ノーガードで生きる人がいるでしょうか。
まあ100歩譲って、ある個人がそういう考えに従って行動し、その人が勝手に死ぬのはいいとしましょう。
でも、その方はきっと、そのノーガードな行動で誰かを道連れにしてしまいます。
感染症対策においては、こういった勝手な行動が集団を滅ぼす可能性があると認識すべきです。

まあ、ペストとCOVID-19では致死率に圧倒的な差があると思われるので、引き合いに出すべきではないのはわかっています。
ただ、ある哲学者の方が、ペストを引き合いにして「コロナの事は考えずにおこう」、というような論調で記事を書いていましたので、それを少し真似してみただけです。
どこかでこういった記事を見かけられた時には、私のこの、荒唐無稽なたとえ話を思い出して、笑い飛ばしていただければ幸いです。

先生が文中で「ノーガードを勧めているわけではない」とおっしゃるなら、せめて題名を、ノーガードを勧めている様な受け取られ方をしないようにすべきです。

話をお医者さんに戻します。
この先生、記事の中で「ノーガードを勧めているわけではない」とおっしゃっています。
ならば、もっとそこをきちんと出すべきでしょう。
そうであれば決して、
「日本のコロナウイルスは終わった、さあ旅に出よう」
とはならないはずです。
おっと、いけない、このことには触れない約束でしたね。

それにしても、ノーガードを勧めるのでなければ、安心を与える情報だけでなく、危険を伝える情報も同じように発信すべきです。
なんと言っても、人の生き死にに関わることですから、脳天気に構えるわけには行かないと思いますが、違いますか?

お医者様も含めて、今、科学者達の誠実さが試されていると思います。

残念なことに、東日本大震災の時の科学者の対応からこちら、科学者に対する信頼度が薄れてきているように思います。
そこに持ってきて、今回のCOVID-19騒動で、ちょっと考えれば間違っているというような事を、科学者(お医者さんも含む)から発信されすぎたように思います。
確かに、今回のCOVID-19については未知のウィルスなので、ある時に下した判断が間違っていることは大いにあることです。
ただ、それが判明したときには、正直に”あの時の判断は間違いでした。正しくはこちらです”と、前言を撤回すべきです。

私で言えば、緊急事態宣言の前には、徹底的な自粛で感染拡大を押さえ込むべきと発言しました。
しかし、今それをすると経済的に日本が終わるので、違う道を見つけるべきだと主張しています。
そして、過去のある時点で主張した徹底的な自粛は、COVID-19と戦う準備をするための時間稼ぎで、一度きりの非常手段だったと説明しています。
多分どこかでそう言っていると思いますが、どうだったでしょう?
もし、今までにその説明をしていなかったのなら、今この瞬間にこう説明したということにしてください。
あ、でも、K値について、最初は批判的でしたが、その意味をきちんと理解した上で、その有用性を認めたはずですね。
そこではきちんと謝罪していたと思います。

私は思います。
私ごときの野良科学者から、トップの専門家に至るまで、この心意気を忘れてはいけないのではないかと。
その時点で、正しいと思う事を主張して(もちろん根拠も示して)、もし後に間違っていることがわかったら、ごめんなさいと言う。
なるべくそう言わないで済むように、きちんと情報を集めて考える。
こうしないと、信頼を回復できないんじゃないでしょうか。

最後に、決してあきらめてはいけません。一番醜いのは、「死ぬときは死ぬんだから」といって、考えることを放棄すること。

白血病にかかり、奇跡的に回復した私が主張します。
どうせだめであったとしても、最後まで諦めてはいけません。
達観した風を装って、「人間一度は死ぬんだし」なんて事を言ってはいけません。
また、そうする事を人に勧めるなど、言語道断です。
人は、最後の瞬間まで、生きるための努力をするべきです。

ちなみに、心が折れて自死という行動を取ったとしても、それはそれで負けではありません。
その決断をする直前まで、生きるということを考え抜いていたでしょうから、間違いなく勝ちです。
私が負けだと思うのは、まだまだ死から程遠い段階で、あたかもそれがかっこいいかのようなふりをして、諦めてみせること。
私にとって、一度死の淵を見た者にとって、この行動はまさに最低の行動と考えられます。
それはさておき皆さん、人としての誇りを持って、諦めずに考えに考え抜いて、明日を掴みにいきませんか?

ということで、今日はここまで。
まあ、一度棺桶に片足突っ込んだ人間としては、どうせ人は死ぬとか、根拠のない気休めとか、○○くらえ!って思っちゃうんです。
だって、私は今生きてますが、同じ部屋にいた人で、”生きたい!”と願いつつ亡くなった方が、普通にいらっしゃいましたからね。
そういう人にとって、「人はいずれ死ぬ」とか根拠のない気休めとか、意味ないどころか、毒ですよ。
なので、ちょっと、許せないという思いが強くなって、熱くなりました。
ホントは、楽しいお気に入りのネタにするつもりだったんですけどね。
それは次に回します。
それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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