時間軸って気付きにくいものですよね。

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
今日はちょっと雰囲気を変えて、すごくまじめな雰囲気で。
時間というものについて考えてみたいと思います。
(”まんぼうのごとく”でしてませんので、そんなに理科チックではないですよ)

四次元空間と言う言葉は知ってるし、時間軸がほかの軸と違うのは知っているけど。

理科は苦手、物理は嫌いという人は多いですが、そんな人でも「相対性理論」とか、「四次元」とか「時空」という言葉は何となく知っているのではないでしょうか。
特に四次元という言葉で、何が4なのかということについて、多くの人は縦横高さプラス時間と答えられるとおもいます。
更に、時間はほかの3つ縦横高さと何となく違うという事も、きっと多くの方がご存知でしょう。
多分、どう違うのかも、聞かれれば答えられる人も多いのではないでしょうか。
それなのに、頭ではわかっているのに、いざ行動しなければならない時、時間の特性を忘れてしまっていること、多いように思います。
特にそれが重要な場面ほど。

時間がどう特殊か? 時間軸における順番入れ替え不可について。

一番の特色は、順番を入れ替えられない事、です。
そんな事は分かっているとおっしゃるでしょうね、多くの人は。
他の3軸については、順番を入れ替えてもゴールは同じになります。
碁盤の目を移動するときのことを考えて下さい。
例えば前に3、右に5のところをゴールとすると、その進み方は無限にあります。
もちろん、バックと左を可能とするなら、ですが。
これに高さを加えても同じだと言うのは自明です。
ところが、時間軸に関しては、入れ替えは厳禁です。
例として、ホットケーキを作って食べるということを考えてみましょう。
当然、ホットケーキを作る→ホットケーキを食べる、という流れを逆にしてはいけない、というより逆にできないというのは、わかりますよね?
ホットケーキを作るという作業の中でも、材料をこねる→焼く、という作業は逆にできません。
つまり、時間軸に関しては入れ替え不可なのです。
本来はこれで終わりなのですが、ここから派生していくつか特徴が出てきますね。

時間軸の入れ替え不可性から派生したもの。時間軸におけるタイミングの重要性

もう一つ、時間軸で大切なのは、タイミングの重要性です。
この件も先ほどのホットケーキを作って食べることを考えてみましょう。
ホットケーキを食べるタイミングにしても、できてから時間がたつとホットケーキが冷めてしまいます。
冷めたホットケーキもおいしいとは思いますが、それはできたてのホットケーキとは別物ですね。
つまり、タイミングが違うと別物になります。
ホットケーキを焼くというところでも、焼く時間が短すぎれば生焼けですし、長すぎれば焦げてしまいます。
ホットケーキを焼く行為をやめるタイミングで、出来上がりは全く違ったものになるわけですね。
つまり、時間軸に関して言うと、同じ行動をとる場合でも、そのタイミングで意味が違ってくるというわけです。
しかも、そのタイミングによっては、本来良い結果をもたらすはずの要素が、非常に悪い結果をもたらす場合も、普通にあるということです。

もう一つの入れ替え不可からくる特徴。時間は”止まらない”。

そうなんです、時間は止まらないんです。
文字通り、まさに”刻一刻と”変化します。
なので、我々が時間軸のある4次元に存在している以上、時間により”変化すること”は必然であり、”変化を考慮すること”必須なわけです。
最初にあげた”入れ替え不可”とそこから派生する”タイミングが重要”と”時間は止まらない”ということを、物事の判断の際にはきっちりと考えに入れておかないといけないんですよ。

でも、何故か、世間では状況の変化によって意見や行動を変えることを良しとしない風潮がありませんか?

まあね、なんの理由もなくコロコロと意見や態度を変えるのもどうかと思いますよ。
でもね、明らかに状況が変化したとわかるはずなのに、それに応じて意見や行動を変えると、”変節漢”だの”首尾一貫していない”だのといって、非難する風潮ないですか?
そうですね、身近な例としては、
・世間ではすでに、土日祝完全休日どころか、週休3日というところまで出てきているのに、いまだに月に1回以上は土曜出勤日にこだわっている会社。
・新型コロナで密状態を避けるべきなのに、非常事態宣言解除になった途端に、全員出勤日を作ってわざわざ密状態を作る会社。
というところですかね。
あと、
・すでに経済が危機的状況であるにもかかわらず、未だにステイホームだけが正義だと唱えている人。
も、そうかもしれません。
(すでに、ただただステイホームと唱えるだけだった時期は過ぎ、感染のリスクを考えた外出と、もし感染した時のフォロー体制の確立、を考える段階と私は考えます)

あと、何故か、世間では”変わらないこと”が大切で尊いとなってませんか?

例えば、この道一筋だとか、頑固一徹だとか、動かざること山のごとしとか。
最後のなんて、風林火山という言葉から来てるのに、同じように同じ言葉から来ている”疾きこと風のごとく”というくだりが、ガン無視されてる感じがして残念でなりません。
しかもこの”疾き事風のごとし”は、風林火山の最初に来ているのに、ですよ。
それはさておき、この変わらないことが尊いと思われている身近な例を考えてみますと、
・エクセルのマクロを使って業務を改善したら、「手抜きはだめだ」とか言って、手計算させられた。
・いまだに履歴書は手書きじゃないとだめとかいっている。
・やっぱり面と向かって話さないと熱意が伝わらないとか、業務に関することで主張する。
なんてことですかね。
こういうの、ネット上ではよく聞きますよね。
すでにグループウェアなどの便利なツールがあるのに、いまだにエクセルでの管理にしがみつく、ならまだマシで、紙ベースでの管理を誇示する人。
なんてのもよく聞く話です。

それに、完全にタイミングずれなのに、”やらないよりやったほうがマシでしょ”と擁護する風潮もありますね。

たしかにね、やらないよりやったほうが言いに決まってますけどね。
タイミングずれ(というか、時期を逸した)ということは、普通に責められるべきでしょう。
というか、やらなければもっと責められるというだけなんですから、”遅れてもやったんだから、責めちゃかわいそう”っていうのはどうかと思うんです。
特にそれが、適切なタイミングで的確な判断を下すことを期待されて、国民から税金をもらっている集団であれば、当然だと思います。
あと、一般社員より多くの賃金を、自分の権限で設定してもらっているような、会社で言うところの経営陣の方とかね。

もう一つ、早過ぎるタイミングで動いたためにブーイングを食らって、後になって「やっぱり俺の言った通りじゃないか。愚か者どもめ」っていう人もいますよね。

時代を先取りするのって、時代遅れよりは害が少ないのは認めます。
そういうことができる人が頭の言い方だというのも認めます。
でも、害が少ない、のであって、害がないわけじゃない。
とうのも、早過ぎるタイミングでやったことによる失敗の体験が、悪しき記憶として長く尾を引くことがありますから。
今回のコロナ騒ぎで言うと、早過ぎるタイミングで経済重視の姿勢を唱えて、総スカンを喰らった事が挙げられるでしょう。
あえて、個人名を挙げるなら堀江さんですね。
まあ、堀江さん自身は失敗と思ってないでしょうけど。
周りの人は、堀江さんがたたかれたのを見て、「経済を回す方向で主張すると、あんなに叩かれるんだ」って思ったでしょうね。
そうすると、いざ経済を回すために、自粛一辺倒から、感染リスクをが考えた上での外出やレジャーを考える段になって、二の足を踏む方が出てきてしまう。
まあ、かく言う私もその一人ですがね。
堀江さんは頭のいい人なので、そこがわからなかったわけじゃないと思うんですが。
それでも動かないといけないくらいに、手遅れになりそうだったのかどうか。
実際、コロナ関連の倒産が増えてるので、すでに限界ラインを超えたのかもしれませんし。
このあたりになると私ごときの頭では読みきれませんが。
そういえば、最近、堀江さんが経済を回すためにうんぬん、と言う記事を見なくなりましたが、なぜでしょう?
今こそ、彼が声高に主張してくれればと思うのですが。
こんなこと言うと、堀江さんなら「人任せにせず、自分で考えて行動しろ!」って言いそうですがね。
(最後まで読んでこられた方にはわかるでしょうけど、私は個人的に堀江さんのファンだったりします)

とにかく、これまでなら、変化のスピードがそれほど速くなかったので、そんなに臨機応変でなくてもよかったんですがね。現在では臨機応変じゃないと通用しないのでは?

私が子供の頃、30年前くらいであれば、情報の伝達スピードも、人の移動するスピードも、そんなに早くなかったんですよね。
だから、変化のスピードも今ほど速くなかった。
だから、”山のごとく動かず”、”様子をよく見て”、”なかなか動かない”というやり方も通用したんだと思います。
むしろ、変化するということは失敗のリスクがあるので、変化しないという、リスクを避ける方が正しかったのかもしれません。
でもね、今は情報の伝達する経路も、情報を収集する手段も、ともに激変し、30年前では考えられないほどのスピードで情報収集・伝達が出来るようになりました。
そうです、インターネットの普及によってですね。
なので、判断基準、価値観、物事の進め方、などなど、すごい勢いで変化しています。
であれば、我々もそれに合わせて変化していかなければならないはず。
なのに、いまだに変化を嫌う人がいろいろな集団、団体、組織における意思決定権を持っているように思います。
国、会社、自治体、地域コミュニティー、あらゆる場所で、です。

本当は、心の柔軟さに、年齢は関係ない、はずなんですがねぇ・・・

変化に対応する能力というのは、心の柔軟性と言い換えられると思います。
で、本来は、この能力は年齢とは無関係のはず、なんですがねぇ。
何故か実際には、歳を重ねることで、この能力が極端に落ちることが多いようで。
私なんか、”年を取ったからって、心の柔軟性をなくしてたまるか!”って思いますけど。(変人なのでしょうか?)
どうやら、いろいろなところで見聞きする一般論的なものから言うと、お年寄りになればなるほど、依怙地になる例が多そうですね。
う〜ん、私も後10年もしたら依怙地になるのかなぁ。
絶対イヤ、なんですけどね。(これが依怙地の始まりか?)

珍しくオチのない回になってますが、それには理由があって。

これから、このネタを発展させたものを、色々と書いていこうかなと、思ってます。
なので、オチは次回以降の話で出てくる予定です。
とはいえ、こういう固ッ苦しいのは、連チャンになると辛いので、適当に”お気に入り”なんかを挟んでいこうと思っています。
それではまた、次のネタでお会いしましょう。

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