病名の告知~治療開始まで

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
令和になったのを機に、過去の闘病記を始めてみたのですが、なかなか進みません。
というのも、このネタがブログの先頭にいてほしくないから・・・
なので、他のネタができたタイミングで投稿しようと思っていると、どんどん後回しになるんですよ。
まあ、それはそれとして、きちんと完結させていく予定ですが。
あと、病気を通じて思ったことを素直に書いていくこともしたいな、と思ってます。

さて、この前は病気の発覚までを書きました。
今回は告知から治療開始までを書くことにします。

血液検査から2日ほど開いて、結果を聞く日。

もちろん妻と一緒に聞いたわけですが。
ほぼ、白血病だと覚悟はできていたんです。
なので、医者から告知を受けた時もそれほど取り乱しませんでした。
ただ、聞きたかったのは「治る確率はどの程度か?」ということでした。
まあ、この時にはまだ、”白血病には完治という考え方はなく、「寛解維持というものをどれだけ続けるかだ」という事は知りませんでしたからね。
おそらく一般人はそうだろうという事で、医者からは、
「5年生存率は、骨髄性で30%、リンパ性で25%です。」
と言われました。
率直な感想としては、
「それ程悪い勝負ではないな」
というものだったと記憶しています。
10人のうちで3人助かるのですから。
(まあ、5年生存率なので、”助かる”と表現していいか微妙ですが)
もちろんその日から入院です。

最初は大部屋でしたね。

血液内科なので、その部屋にいる多くの人は糖尿の検査なんです。
だから、食事が質素なんですよね。
そんな中、私だけ豪勢な物食べてて、なんか申し訳ない気分になったのを思い出します。
多分、見た目的に、絶対糖尿と思われたでしょうから。(完全にメタボでしたからね)
で、その日の内に骨髄穿刺(以後マルクということにします)というのをしたのですが、これが大変でした。
まあ、普通の人であればそこまで大変じゃないんですよ。
だって、一連の治療が終わってからやった、マルクはそんなに痛くなかったんですから。
一回目は胸骨からしたのですが、まったく骨髄が出なかったんですよ。
研修医の先生にベテラン先生がいうには
「ほら、これがドライタップっていうんだよ」
だそうです。
そのあと、骨盤でやり直したんですが、これが痛い痛い。
聞いた話によると、無理矢理に骨髄を削ったようなことを言ってました。
まあ、実はこんなのは序の口だったりもしたのですが、それはまた今度ということで。

いやぁ、案外覚えているもんですね。
まあ、命がけの3年でしたから、そりゃ覚えてるのも当然でしょうけど。
次は、いよいよ入院ですが、大部屋ではなくICUだかHCUだかのいわゆる「個室」に入ることになりました。
(無菌室がいっぱいだったもので)
どんな入院生活をスタートしたのか?
それはまた次回の講釈で。

前の記事:白血病と診察される前の自覚症状

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