白血病闘病記(10数年前の話) 初めの2週間程度でやったこと(やめたこと)

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
といっても、今回からの新シリーズは、趣味関係ではないんですけどね。

さて、元号が令和になったこのタイミングで、いろいろな人がいろいろなことを始めていたりします。
そんな流れに乗って、私も一つカミングアウトしてみます。

実は私、十数年前に白血病になったんです。

このブログを書いてるんですから、当然今も生きてます。
しかも、絶妙のタイミングで、よく効く薬が見つかったもので、現在普通の人とほぼ変わらない生活をしています。
他にも幾多のラッキーが重なって今の私があります。
その辺りは、だんだんとお話しするとして。
そんなラッキーな(病気になった時点でアンラッキーですが)私ですら、ここまでの道はとても険しいものでした。
「治ったんだからいいじゃないか」ですか?
実はその言葉との戦いこそが、退院してからの戦い、つまり「本当の戦い」でした。
この辺りは、後回しにしましょう。
今は、私が「最初の戦い」、つまり入院の少し前から寛解導入開始あたりまでを、いかに戦ったかをご紹介します。
少しでも同じような病気になった方の参考になれば幸いです。
ただ、そういう方にとって事は一刻を争うので、最初の回は結論をなるだけ短く書いていきます。

前置きが長くなりましたが、ここから本題に入ります。

1. ”なんで私がこんな目に・・・”と考えるのはやめました。特に過去の行いの報いだなどと思わないことにしました。

これは何より、時間と体力の無駄です。
どうしても考えてしまう、という状況は分かります、私もそうでしたから。
でも、今のあなたには、他に決断をしなければならない事が山ほどあるはずです、生きるために。
治療方法は?セカンドオピニオンしますか?誰に連絡しますか?(働いているのなら)会社への連絡は?
今後、長期間にわたって、入退院を繰り返しますが、その間のお金はどうしますか?
どうです?いっぱいあるでしょう?
それでも、ふと”なんで私がこんな目に・・・”と考えている。それはしかたないです。
なので、私はそんな状態になっていることに気づいたら、今目の前にある決めなければいけない事に、意識的に思考を移していました
何度でも、何度でも

2. 信頼できる身近な人に、直ぐ応援を頼みました。(私の場合は妻でしたが)

直ぐに治療が始まって、あなたは外界と遮断されます、無菌室に入る事で。
そんな状態でも、外(主に会社や役所)との折衝は必要です。
あと、物資の定期的な補充(下着やペットボトルジュース。この辺はまあ、病院に頼めばなんとかならないでもないですがね)も必要といえば必要ですね。
なんと言っても、話し相手がいるといないとでは、入院生活のハリが違ってきます。
ということで、そんな信頼できる誰かがいるのであれば、すぐに応援を頼みましょう。
ここで私がラッキーだったのは、妻がいたということですね。
本当に妻には感謝しています。

3. ”生きる目的”を確認しました。

では、それらが全て終わったら、”なんで私がこんな目に・・・”と考えてもいいか、と言うとそうではありません。
依然としてそんな暇はないはずです、生きるためには。
そうなのです、ここまでに何度か出てきたキーワード、“生きるために”その動機付けが必要なのです。
「最初の戦い」の目的は、それに引き続く「病との戦い」の準備をする事です。
これからの戦いは、生半可なものではありません。
それでも、”生きたい”と、あなたが願う理由は何でしょう。
できるだけ早い時点で、それを確認しておくのが良いでしょうね。
私の場合は、”妻との何気ない日常を取り戻す”ということでした。
そして、これはいまだに変わらぬ生きる目的となっています。

4 .そして遺書を書きました。

つまり、”生きる目的”を確認した後で、”死ぬ準備”をしました。
縁起でもないと思いますか。
でも、現実問題、この病気になった以上、5年生存率は高くありません。
私の場合、10数年前の時点での急性リンパ性白血病フィラデルフィア陽性は、「予後不良」、つまり長期生存率は10%以下、という状態でした。
ただし、その少し前にイマチニブという分子標的薬に効果があることがわかって、保険適用もされていました。
私が病気になった時点でも、3年ほどの試験的な導入がされていて、結果は良好と出ていました。
現在ではたしか5年生存率が50~60%位になっていたと思います。(もっと良くなっているというのも、ちらっと見ましたが)
とにかく、白血病にもいろんなタイプがありますし、発見された時の状態にもよるので、5年生存率は人それぞれですが、ただ言えるのは”死と隣り合わせ”の状態がしばらく続くということ。
今その時を思い出しただけで、恐怖がよみがえってきます。
宣告された夜のことを思うと、涙が出てきます。
その状態で、自分が死んだ後のことを考えて行動しておくのは、ごく自然なことです。
それに私の場合は、遺書を書くことで、”戦う覚悟”ができたという効果がありました。

以上、私が病気発覚から2週間程度で行ったことを時系列で述べました。
もちろん、治療はすぐに開始されます。
3、4あたりは無菌室に入って、抗がん剤を投与しながら行っていました。
しかも、治療と並行して、生きるための決断を時々刻々とおこなう必要がありました。
とても、嘆き悲しんでいる暇はなかったというのが実際のところでした。
(まあ、ふっと時間に隙間ができたときに、いろいろ考えてしまうことはありましたが)

さて、最後にもう一度、改めて言っておきます。
「あなたが病気になったことは、過去の行いの報いなどではありません」
「あなたが病気になったのは、たんに運が悪かっただけです」
(医学的に、白血病は”原因不明”ですから)
「あなたが病気になった理由を考えるのではなく、これからどう生き抜くかを考えるべきです」
あと、一つ提案があります。
それは
「”いい人”であることをやめてみませんか?」
あなたが良い人かどうかが問題なのではなく、きっとあなたは周りに気を使う人なんじゃないかと思ったので、こう提案しました。
なぜこう思うかは、また追々お話しするとして。
これから、長期の治療が始まるわけですから、
「寒いときは寒い」「暑いときは暑い」「痛いときは痛い」「つらいときはつらい」という意思表示をする必要がありますよ、ということです。
治療のために、ですね。
案外、そういうことに対処する方法(投薬も含む)があるもんですから。
決してわがままを言って、看護師さんを困らせろということではないので、誤解なきよう。

ああ、もう一つ、どうでもいいことなんですけど
「点滴の管に大量に空気(泡)が入っていても、怖がる必要ありません」
私が神経質で最初のころ気にしてたんですけど、はい、全然問題ありませんでした。
数限りない点滴を受けて、そのたびに大量の泡を体内に入れましたけど。
私、今、ぴんぴんしてますから、大丈夫です!

そうそう、この記事を発病から3週間以上後に見て、”ああ、自分はこれらのことをしていない、どうしよう・・・”とお考えの方。
大丈夫です、まだまだ間に合います。
というか、これら4つのことをせずに今まで生き抜いてきたのですから、むしろあなたはすごい人です。
体力も、気力も、運も、計画性も。
そのままできっとこれからも生き抜けるでしょうけど、もし私の紹介したもので気に入ったものがあれば実行してみてもいいかもしれません。

あと、発病から1週間後にみて、”私は全然できていない。これからが思いやられる。まにあうのだろうか・・・”とお考えの方。
大丈夫です、どうということはありません。
その気になれば、これらのことは1日でできます。
それに、そんなことをせずに生き抜いた人も、きっと多いはず。
生還者の一例として参考にする程度でいいですよ。

さて、初回はこの程度にしておきます。
どうか、精一杯、目の前のタスクをこなしていってください、生きるために。

次の記事:白血病と診察される前の自覚症状

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