生誕150年 横山大観展

趣味を作ることが趣味の、はしびろこうです。
久々にカフェはしびろこうで、美カテです。

今日は、京都国立近代美術館で開催中の、「生誕150年 横山大観展」に行ってきました。
日本美術の巨匠で、朦朧体という、輪郭を描かない(描くのを控えた)画法を確立したことで有名です。
フォービズムという言葉が最初は批判的であったのと同じく、朦朧体も最初は批判的に使われた様ですね。
科学の世界で、ビッグバンという名前が、その理論に批判的な人により命名されたのとも通じる様な気がします。

さて、今回の大観展、会期中に展示作品がコロコロ変わります。(大きく分ければ2回ですけど)
まあ、作品が多いので、一度に全部見せられないということかもしれません。
私が見に行った今日は前期でした。(もうすぐ、7/1で前期が終わり、7/3から後期になる様です。)

色々な巨匠と呼ばれる方々の作品展に行って毎回思うのは、とにかく最初から圧倒されるということですね。
そんな中で、しばらくして分かってくるのは、その巨匠さんの好みといいますか、必殺技といいますか、まあ、そう言ったものですね。
今回私が感じた、横山大観さんのそれは、”緑が好きで、また得意でもある”でした。
だから、今回の目玉である、「夜桜」に、桜とほぼ同面積くらいで常緑樹が書いてあったのでしょう。
まあ、単に桜の淡いピンク色を目立たせるためかもしれませんが。
それにしても、「夜桜」と「紅葉」が展示してある部屋の圧力は凄かった。
あれを超えるプレッシャーは、昔、山種美術館で、速水御舟の炎舞と岸田劉生の「道路と土手と塀」が一緒の部屋に展示してあった時くらいでしょう。
でもね、私が今回一押ししたい作品は別にあるんです。
それは「濱海」。
まず、海面の穏やかな起伏がリアルで、潮騒が聴こえて来そうな絵なんです。
さらに、海の色が、綺麗なエメラルドグリーンなんです。
ただ、この絵は前期のみなので、7/1までしか見られません。

ちなみに、生々流転という大作は、3回に分けて展示だそうです。
生々流転は、水の一生を描いた作品だそうで、山の雲(霧?)から始まって、小川になって、海にたどり着いて、最後は龍となって昇天する、というものの様です。
今回は、最初の回で、山の雲から谷間を流れる川までですね。
びっくりしたのは、最初山あいの雲か霧で霞んでいる木々が書いてあったのが、いつのまにかゴツゴツした岩間を流れる清流になり、谷間を流れる小川になると、少しづつ人の生活が見えてくる、と言うのがとても自然に描かれてること。
しかも、水墨画で。
つまり、モノクロです。
なんと言う表現力でしょう。
最初はのんびり見ていた私ですが、だんだんその絵に吸い寄せられるような感じがして、最後のほうは半ば食い入るような感じで見てました。

写真を見ると、とっても豪快な感じを受ける大観さんですが、実はとっても繊細な感性を持っていて、穏やかな、細やかな絵を描かれる方だったのかな、と思いました。

さて、次はどんな絵と出会えるのでしょうか。

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