岡山市立オリエント美術館 「大英博物館の名宝・特別出展 古代ガラス-色彩の饗宴-」

岡山市立オリエント美術館に行ってきました。
常連といってもよいくらいによく訪れていますね。案外遠いのに。
到着後、早速旅の疲れを癒しました。大ファンになってしまったイブリクで。
もちろん注文した品はチーズケーキとアラビクコーヒーのセット。
そしていつもどおり、アラビクコーヒーは沈殿したスパイスやコーヒー豆の粉までおいしくいただきました。
(普通は沈殿は飲みません。一部の物好き--私のような--はおいしくいただけますが)
今回の催し物は特別展「大英博物館の名宝・特別出展 古代ガラス-色彩の饗宴-」です。
ガラス・・・現在では大量生産できるため、まったくといってよいほど価値がなくなってしまいました。
ガラス玉という言葉は、まがい物・偽者の代名詞にまでなってしまいました。
しかし、その昔、ガラスは準宝石の価値がありました。
形を自在に変えられ、色もさまざまに変化させられる、とっても便利な宝石のような存在だったのかも知れません。
実際、そのころに価値のあったラピスラズリやトルコ石に似せた青くて不透明なガラスや、大理石に似せたマーブル模様のガラスなどがありました。
どれだけ本物に近づけられるか、職人たちが競って技術を磨いていたようです。
当然、本物に近いほど価値がある=高く売れる、のですから。
その後、ガラスは水晶の代わりとして利用されることが多くなり、透明なガラスが主流となっていきます。
そして、色の種類も増えて行き、天然の宝石では作れない独自の美しさを表現するべく、その技法を発展させます。
その例として、ゴールドサンドイッチガラスとレースガラスが紹介されていました。
ゴールドサンドイッチガラス
ガラスとガラスの間に金箔をはさんだもの。
こう書くと簡単ですが、隙間なく重ねられる2つのガラス製おわんを作るのは至難の業です。
さらに、細かい金箔細工を曲面にほどこすのも同様に至難の業です。
レースガラス
細くて縞々のガラス棒、それを数種類作成し、それをコアに巻きつけながらおわん上にして作成するもの。
継ぎ目のない作品を作るには、はじめの縞々ガラス棒が長くなければなりません。
さらに、それを操りつつコアに巻きつけて行く。
しかも、それを複数回。
美しきものを作るという、深い情熱が作品から伝わってきます。
どちらも現代の職人たちの手によって再現されていました。
一度は失われてしまった技術です。
それを出土した作品と、わずかに残る情報と、多くの推測、そして、おそらく多大な労力を注いだ試行錯誤で、とにもかくにも復活させていました。
どちらの再現VTRからも、いかに当時の技術力が高かったかがひしひしと伝わってきました。
その他、色ガラス製法について、非常に多くのデータが残されていたようで、いかに当時の人が情熱を持ってガラス製作を行っていたかがわかります。
しかも、そこに書かれている製法どおりに作っても、いまいちのものしかできないようです。
もしかすると文献中の失われた部分が重要であったのか、書かれていないちょっとした気の使い方が重要なのか、今その情報がないというのは残念です。
こう考えると、古代から現代に向かって、人は進歩したのかどうか、不思議な感覚にとらわれます。
ある面、大きく進歩してきたのは間違いないのですが、どこか置き去りにしたもの、ひょっとすると退化してしまったものが、あるのではないでしょうか。
その中に、人類にとって非常に大事なものがなければよいのですが。
(ある意味、ガラスのうんぬんは、全然致命的ではないのでよいとして・・・)
と、古代ガラスのことからこんなことをつらつらと考えました。
猛暑の中で、クーラーの効いた美術館で、涼しげなガラスを鑑賞しつつ、こんな感傷にひたるのもよいものですね。

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