レオナルド・ダ・ヴィンチ1

美術検定3級に合格して浮かれていたのですが、既に次のテストが10ヵ月後(9ヵ月後?)に迫ってきました。
2級はさすがに手ごわいはずなので、早いうちから手を打とうってことで、勉強を始めているんですが。
歴史ってのはやっぱりだるいんですね。
しかし、少しでも楽しく勉強したいと思いまして、ちょっとした工夫をして見ます。
1. ルネサンスから現代までで、何人かの有名な人をピックアップする。
2. その人についてまずまとめる。
3. その人の関係者についてまとめていく。
4. 最後にそこから漏れた人をつめていく。
こんな風に考えたのは、“歴史”というとだるいのですが、
“ドラマ”となれば結構楽しいということに気づいたからです。
人を中心にすれば、ドラマティックに勉強できないだろうか、これがきっかけです。
さて、最初の一人は、超有名どころの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」さん。
最も有名なのは「モナ・リザ」でしょう。もちろん「最後の晩餐」も有名ですね。
また、「受胎告知」も描いています。受胎告知についてはフラ・アンジェリコの方が有名かもしれませんが。
実はレオナルドさん、作品数としてはそれほど多くないんです。
確実に彼の作品と考えられているものに絞ると、なんと10点前後。
まあ、理由はいろいろありますが、そのひとつに
“1つの作品を作る時、とことんまで研究を重ねる人だった”
ということがあるようです。
さて、彼の略歴ですが、
1452年にイタリアはヴィンチ村に生まれました。時はまさにルネサンスのど真ん中。
フィレンツェで有名だったヴェロッキオさんに弟子入りしてめきめきと頭角を現しました。
なんでも、お師匠さん(ヴェロッキオさんです)が作成する「キリストの洗礼」という絵のお手伝いをしたとき、あまりのうまさにお師匠さんが舌を巻いたとか。
このころに2つの「受胎告知」を製作したそうです。(ウフィッツィ美術館とルーブル美術館のもの)
30歳のころにミラノに移り住みます。そして43歳から46歳のころに有名な「最後の晩餐」を製作します。
晩年は戦争の影響でいったんはフィレンツェに戻り、またミラノに招かれ、またも戦争の影響でローマへ、
と転々とします。
その間に作成したのが、これまた有名な「モナ・リザ」です。
彼はこの作品を一生手元に置き、筆を入れ続けたとか。
ローマに移り住んだ後、フランスの王様フランソワ1世の援助を受けながら製作・研究に力を注ぎ、
1519年67歳でその生涯を終えました。
さて、その人間関係や時代背景はまた別の項で紹介することして、いったんお開きといたします。
一応ソースを紹介しておきます。(備忘の為にも)

その他、美術検定公式テキスト、傾向と対策、Wikipedia

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